京橋OBP(大阪ビジネスパーク)が立ち上がってから、もう20年以上になるでしょうか。
構想・計画自体は昭和40年代からありましたが、住友生命本社の場所に同生命事務センターがあったのと、現在もある松下電工のショールームビルだけの時代が長かったのです。
昭和58年9月、超高層が最初に着工されたのは「ツイン21」でした。およそ2年半の工期で、昭和61年4月11日に竣工式を向えました。
その後は怒涛の勢いで住友生命の「ニューオータニ」や「キャスルタワー」、鹿島ブロックの「富士通ビル」「東京海上ビル」、竹中工務店の「クリスタルタワー」、松下興産の「松下IMPビル」などが続いたように思います。
OBPと共に、JR大阪環状線の「大阪城公園駅」の新設工事費は「OBP開発協議会」が負担したものですし、「大阪城ホール」などのオープンなども、大きくは大阪21世紀計画と連動したものでした。
昭和40年代には京橋駅横に「ダイエー京橋店」がオープンしていますが、当時のダイエーの電車内の広告には『東の新宿なにするものぞ!』の文字が躍っていました。やはり西のOBPは新宿を意識したものであったようです。