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大阪情報サロン

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【千里新都心】千里中央の今昔

▼大阪北部の『千里新都心』を考えます。「東大阪新都心」「中百舌鳥新都心」とともに府の新都心計画のなかで完成度も高く、街の成熟で住民の老齢化が問題になっているくらいです。この場合の千里とは「千里中央」です。
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▼千里中央は東西に「大阪中央環状線」、南北に「新御堂筋」が交差し、大規模な「千里IC」を形成しています。この十字クロスの北西側は業務地区でオフィス街。北東側が地下の千里中央駅を軸に「千里セルシー」や「阪急」「大丸ピーコック」「よみうり文化センター」など、多くの商業・文化施設の集積があります。目立った高層ビルも「千里朝日阪急ビル」や「千里ライフサイエンスセンター」が聳えています。最近はヤマダ電機の「LABI千里」や「ザ・千里タワー」の高層マンションが建設されています。
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 写真:千里朝日阪急ビルと大阪モノレール千里中央駅 ▼写真下:ヤマダ電機の店舗
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▼千里中央の発展の背景には、地下鉄御堂筋線の延伸となる北大阪急行の千里中央駅があること。同時に新御堂筋が通じている点があります。この二つの交通インフラは新大阪・梅田・難波直結であり、道路の新御堂筋も全線立体交差の特別な道路です。このような背景で、千里という街は大阪の都心機能を担うべく特別につくられた新都心といえると思います。ですから、ここ千里の電話市外局番は「大阪06」になっています。梅田からの距離は12kmです。行政は豊中市に属します。
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◆戦後、昭和40~50年代に大阪は凄まじい郊外化がありました。都市のドーナツ化と言われますが、主として人口の郊外化です。大阪市内の住民の子息のほとんどは郊外に移転したのです。奈良県や兵庫県に移転した人も多いのですが、大阪都心とつながりを持つ通勤圏への移転ながら、これでは大阪市内の人口が減るのは当り前の状況でした。
当時の価値観も郊外に住む方が文化的で高級な雰囲気さえありました。住宅だけでなく企業もその流れで郊外に移転したくらいでした。たとえばMBS毎日放送は「千里丘放送センター」を建設して郊外に移転しました。ほんと流行とは恐いです。血迷った行為さえ正当になるのですから。
ここ千里中央の北西側にあるオフィスビル街もそんな流れで、建設されたのが多いです。主として東京にあるコンピューターのバックアップ機能が西の千里と言われたりしますが・・・。
とにかく、住民の思想にも影響して、私も大阪市内に住むより豊中に住むのが高級と勘違いしていました。よくよく考えたら郊外化といっても豊中であったり、堺市であったりですから、大阪市域の面積が狭いから郊外に見えただけです。
◆ところがもう20年以上前のことですが、職場の同僚で広島出身の人がいたのですが、そこで都市についての議論になったときに、その人が言ったのは、「やっぱり会社は大阪都心でないとダメだよ」「郊外にある会社なんて価値ないっすよ」「電話も大阪06でないとね」と、そんな意味のことを言ったのでした。私は「ハッ!」として、「我に返り」、目覚めた思いでした。
しかし、この千里中央は単なる郊外ではありません。「千里新都心」「業務拠点」ですから。それに郊外といっても、この程度の距離は東京であれば23区内ですけどね。
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◆ところで、大阪都構想とか大阪市域の拡張とかときどき言われますけどね。その場合どこまで区部とするかは、もっとも参考になるのが「大阪06地域」です。これも東京23区よりかなり狭いですけど、最低これくらいは大阪市でないと具合悪いと思われる範囲は入っています。
おそらく横浜市の面積と同じくらいか、ちょっと「大阪06」が小さいかもしれませんが。でも、市外局番一桁の「06」、市内局番4桁で、06-〇〇〇〇-1234ですから、大阪の規模をある程度反映したもので、「横浜が大阪より人口多い」と言っても、「大阪は市内局番4桁だよ」が最強だと思いますよ。
by osaka-salon2 | 2008-12-18 18:04 | 大阪の街
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