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大阪情報サロン

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カテゴリ:大阪の歴史( 3 )

高津宮を偲ぶ住吉大社に初詣、これいかに

▼師走に慌ただしく「大阪遷都」の話題なんかを書きましたが、東京遷都以来の大阪の扱いの酷さの理由がより理解されるようでした。偏向報道も得体の知れない力も、すべての源泉はこれにあったわけで、現在もなお継続されているということですね。

年が明けてHPの新規作成をやり、従来のHPは廃棄処分としました。この新HP表紙ページにMKCRセミナーの発表・講演を載せています。
Jeffrey E. Hanes(ジェフリー・ヘインズ博士)の『Osaka versus Tokyo:The Cultural Politics of Local Identity in Modern Japan(大阪対東京:近代日本におけるローカルアイデンティティの文化政治学)』です。考えさせられる内容です。興味があれば読んでみてください。

東京遷都以来の東京中心主義、東京の大阪への憎悪が浮き彫りになっています。奇妙なまでの偏向報道も大阪を排除するかのような心理も、東京の大阪に対する意識が源泉だったようです。これらは政府認定であり、むしろ政府の政策として実践されてきたいえます。
ですから、東京メディアに公平性を望んでも所詮は無理でしょう。「大阪叩きは政府公認ですよ」と開き直るのがおちです。「他の地方のように大人しくしてろよ」とね。

▼で、皆さん初詣は行かれましたか。私は2日に地元の神社にお参りしました。
写真は数年前に参った住吉大社です。
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1月も半ばくらいで参拝の人は少なかったのですが、昨日の新聞を見ると賑わっていたようです。大阪の初詣は住吉大社が人出は多いですよね。
住吉大社のHPの歴史年表を見ると、仁徳天皇が313年に難波高津宮に都を定めるとなっています。
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▼以前から気になっているのですが、応神・仁徳天皇の時代は「大阪王朝」の時代です。孝徳天皇の大化改新による難波宮遷都が645年。これより300年以上古いですね。古代史的には仁徳天皇の在位年は不詳になっていると思います。
いずれにしても、大阪の起源は仁徳天皇の高津宮(たかつのみや)に置かれています。後の難波宮は日本最初の本格的な首都と言われていますが、城郭だけでなくて城坊制の市街があったらしくて、天王寺区真法院町の勝山通に、坊城制を示す「五條宮」という宮があります。
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  ◆五條宮の写真と大阪市歌のリンクです。
大阪市歌
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by osaka-salon2 | 2009-01-04 10:51 | 大阪の歴史

大阪遷都計画と舎密局

▼舎密局(せいみきょく)はわが国の高等教育の黎明期に最初に設立された機関で、大阪に設立されました。明治新政府の直轄事業として建設に当りましたが、東京遷都が決まり工事は中断しました。
舎密とは理化学の意で、当初江戸に設立される予定の理化学校を大久保利通の大阪遷都にそって、大阪に移して開設されることになったのです。明治元年10月4日に起工されましたが、この年7月東京遷都が決まり、明治2年3月に天皇も東京に移られ、大阪遷都の夢は消えてしまいました。このため中断していた舎密局建設は明治2年大阪府管轄となり工事再開、同年5月1日に開校しました。
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 ▲大手前にある舎密局跡の石碑

▼しかし舎密局は明治政府の初期の文教政策の変遷につれて変革を迫られ、きわめて短命に終わりました。開校の翌年の明治3年には校名が理学校、ついで理学所から開成所と変わり、明治5年に定められた新たな学制によって、舎密局は閉鎖され、人材も物品も東京に移されて、後の東京大学開設に資することになったのでした。
大阪の舎密局は後に普通教育機関の第一番中学校から第三高等中学校となりましたが、約20年大阪にあって、明治22年に京都に移転し旧制第三高等学校となりました。京都大学のHPの沿革を見ると、明治2年5月「大阪に舎密局開校」と明確に書かれています。
京都大学の前身・源流はじつは大阪の舎密局だったのです。京都にも京都府が「京都舎密局」を独自につくりましたが、こちらは京都大学と直接の関係はなかったようです。

◆以上が、今日一日で調べた大阪遷都にまつわる舎密局関連の変遷です。造幣局も大阪に設立されたのは同様の事情があったのかもしれませんね。
これまで、よく親戚などが集る機会があると、決まって都市談義になったものです。「大阪はどうの、東京はどうの、京都はどうの」というわけです。そこでよく聞かされたのは、大阪は旧制高校のナンバースクールから外れ、大阪帝国大学もいちばん最後というテイタラク・・・。そればかりではありません。
◆大阪人が「大学は商売のじゃまやからイランと追い出したんや」「大阪人はあほやねん」というわけです。じっさい京都大学の前身が大阪に設立されながら、京都に移転したのも「大阪人がイランと追い出した」とまことしやかに言われるようですが、これはでっち上げでしょう。べつにじゃまになるわけでもないです。
「それほど大阪人はバカだった」と言いたいだけです。何という自虐の極みでしょうか。
おそらく事実は政府の策略と思います。第三高等学校になる直前でしたが、大阪から京都に移転する理由を当時の校長が述べています。
◆明治政府のその後の政策をみても大阪を重視することはありませんでした。大阪を恐れたのか意図的に公的機関が大阪に置かれることはなかったようです。
大阪帝国大学が設立されたのは昭和6年だったと思いますが、大阪から帝国大学設立の要望が度々出されながら政府は腰を上げなかったのです。しかも資金は市民の寄付によって設立にこぎつけたようです。
大阪大学の源流は北船場にあった「懐徳堂」と、緒方洪庵の「適塾」とされています。どちらも私塾なので法的つながりはないとされていますが、自由闊達な学術都市の精神を継承し、大阪大学が保存管理に当っています。
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by osaka-salon2 | 2008-12-30 00:04 | 大阪の歴史

知られざる「帝都大阪」

▼近代の夜明け明治維新に、もし「帝都大阪」が実現していたら、江戸を東京と改称したように、大阪でなくなっていたかもしれませんね。
大久保利通の「大阪遷都計画」です。これは大阪に関心のある人たちにはわりに知られた事実ですが、一般的には知られざる歴史と言えると思います。
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▼その「大阪遷都」を調べていて、わかったのがNHKテレビの『その時歴史が動いた』で、「幕末ニッポン・幻の遷都計画」として、平成14年5月に放送されていたのですね。完全に見逃していました。惜しいことをしましたが、内容を知りたいよりも、この「大阪遷都計画」があったことを全国放送された事実が重要なので、NHKの番組のHPをリンクしておきます。内容説明を見ると普遍的な事実を述べられています。

NHK「その時歴史が動いた」
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▼大阪放送局制作の番組ですが、NHKの番組要約を入れておきます。
第133回
幕末ニッポン・幻の遷都計画
~江戸か大坂か?大久保利通の大改革~
その時:明治元(1868)年10月13日
出来事:明治天皇、江戸城に入城する

 日本の首都は、京都か大坂か、それとも江戸か?幕末の最終局面、都を京都から移そうという、大胆な計画が打ち出された。その行く先は、私たちが常識のように考えている東京(江戸)ではない。大坂であった。
 この大阪遷都案を画策したのは薩摩藩士、大久保利通。大久保の遷都構想は、17歳の若き天皇を、平安朝以来の京都の保守勢力から引き離すことで、新体制のリーダーとしての成長を促すと同時に、天皇親政の新たな近代国家が誕生しようとしていることを、国の内外にアピールするという、画期的なものだった。・・・

 幻に終わった、大久保利通の大坂遷都計画とはどのようなものだったのか?そして大久保はどのようにして、未曾有の大改革となる「東京遷都」を成し遂げていったのか。その背景の知られざるエピソードを紹介しながら。遷都が日本にもたらしたものは何だったのか考える。


◆詳しくはNHKの番組HPをご覧いただくことをおすすめします。偏向著しいNHKがよくできた番組だと思います。最終的に江戸が帝都となる逆転劇なので東京も気持ちよく見れるのでしょう。
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 ▲大阪上空からの空撮です。梅田から中央大通までと、東は大阪城まで入っています。広大な大阪城の緑地が新鮮な印象を与えます。

◆今回、私の撮影の写真以外にネット上にあったものを一部採用させていただきました。撮影された作者の方にweb上ながらお礼申し上げます。
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by osaka-salon2 | 2008-12-28 15:12 | 大阪の歴史