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大阪情報サロン

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2008年『大阪プロジェクト』を振り返る

▼今年も残すところ大晦日だけとなりました。
今年を振り返ると、大規模建築の竣工は比較的少ない年となったようです。来年は梅田北ヤード先行開発地区、中之島フェスティバルタワー、近鉄阿部野橋ターミナルビル等も着工されるものと期待しています。

『大阪プロジェクト』2008年勝手にランキングを選んでみました。
◆1位:『ほたるまち』福島1丁目地区再開発(所在地:大阪市福島区福島一丁目1番8他)
B1街区の「The Tower Osaka(ザ・タワー大阪)」だけでなく、朝日放送をはじめ地区全体の規模と、大阪法務庁舎とのつながりなどがよかったと思います。
タワーマンションのプロジェクトは多いですが、街に与える影響ではオフィスや複合ビルに及ばないものの、どれだけ付加価値を付けてインパクトのある建築にするかが課題でしょう。昨年竣工の「シティータワー西梅田」を見るとデザインの重要さを改めて感じます。
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◆2位:『ブリーゼタワー』西梅田プロジェクト(所在地:大阪市北区西梅田二丁目4-9)
西梅田のサンケイビル跡地で、用途はオフィス・劇場・店舗であり、第一級のオフィスビルとして期待されます。続く梅田3丁目開発・中央郵便局建替えも、さらに大阪駅に近い立地であり、供給面での不安はないと思われます。
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◆特別プロジェクト:京阪電気鉄道中之島線(事業主体:中之島高速鉄道)
運輸政策審議会の答申もあるのですが、京阪電鉄の意欲的取り組みが実を結んだプロジェクトだと思います。10月19日に開業しました。淀屋橋からの延伸ができない状況で、複々線の終点天満橋から中之島を縦断する地下線の難事業を完成させました。大阪の街に大きく貢献するものと期待します。
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◆それでは皆様、来年への期待を込めて、よいお年をお迎えくださいませ。
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by osaka-salon2 | 2008-12-31 00:12 | 08’プロジェクト

大阪遷都計画と舎密局

▼舎密局(せいみきょく)はわが国の高等教育の黎明期に最初に設立された機関で、大阪に設立されました。明治新政府の直轄事業として建設に当りましたが、東京遷都が決まり工事は中断しました。
舎密とは理化学の意で、当初江戸に設立される予定の理化学校を大久保利通の大阪遷都にそって、大阪に移して開設されることになったのです。明治元年10月4日に起工されましたが、この年7月東京遷都が決まり、明治2年3月に天皇も東京に移られ、大阪遷都の夢は消えてしまいました。このため中断していた舎密局建設は明治2年大阪府管轄となり工事再開、同年5月1日に開校しました。
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 ▲大手前にある舎密局跡の石碑

▼しかし舎密局は明治政府の初期の文教政策の変遷につれて変革を迫られ、きわめて短命に終わりました。開校の翌年の明治3年には校名が理学校、ついで理学所から開成所と変わり、明治5年に定められた新たな学制によって、舎密局は閉鎖され、人材も物品も東京に移されて、後の東京大学開設に資することになったのでした。
大阪の舎密局は後に普通教育機関の第一番中学校から第三高等中学校となりましたが、約20年大阪にあって、明治22年に京都に移転し旧制第三高等学校となりました。京都大学のHPの沿革を見ると、明治2年5月「大阪に舎密局開校」と明確に書かれています。
京都大学の前身・源流はじつは大阪の舎密局だったのです。京都にも京都府が「京都舎密局」を独自につくりましたが、こちらは京都大学と直接の関係はなかったようです。

◆以上が、今日一日で調べた大阪遷都にまつわる舎密局関連の変遷です。造幣局も大阪に設立されたのは同様の事情があったのかもしれませんね。
これまで、よく親戚などが集る機会があると、決まって都市談義になったものです。「大阪はどうの、東京はどうの、京都はどうの」というわけです。そこでよく聞かされたのは、大阪は旧制高校のナンバースクールから外れ、大阪帝国大学もいちばん最後というテイタラク・・・。そればかりではありません。
◆大阪人が「大学は商売のじゃまやからイランと追い出したんや」「大阪人はあほやねん」というわけです。じっさい京都大学の前身が大阪に設立されながら、京都に移転したのも「大阪人がイランと追い出した」とまことしやかに言われるようですが、これはでっち上げでしょう。べつにじゃまになるわけでもないです。
「それほど大阪人はバカだった」と言いたいだけです。何という自虐の極みでしょうか。
おそらく事実は政府の策略と思います。第三高等学校になる直前でしたが、大阪から京都に移転する理由を当時の校長が述べています。
◆明治政府のその後の政策をみても大阪を重視することはありませんでした。大阪を恐れたのか意図的に公的機関が大阪に置かれることはなかったようです。
大阪帝国大学が設立されたのは昭和6年だったと思いますが、大阪から帝国大学設立の要望が度々出されながら政府は腰を上げなかったのです。しかも資金は市民の寄付によって設立にこぎつけたようです。
大阪大学の源流は北船場にあった「懐徳堂」と、緒方洪庵の「適塾」とされています。どちらも私塾なので法的つながりはないとされていますが、自由闊達な学術都市の精神を継承し、大阪大学が保存管理に当っています。
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by osaka-salon2 | 2008-12-30 00:04 | 大阪の歴史

知られざる「帝都大阪」

▼近代の夜明け明治維新に、もし「帝都大阪」が実現していたら、江戸を東京と改称したように、大阪でなくなっていたかもしれませんね。
大久保利通の「大阪遷都計画」です。これは大阪に関心のある人たちにはわりに知られた事実ですが、一般的には知られざる歴史と言えると思います。
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▼その「大阪遷都」を調べていて、わかったのがNHKテレビの『その時歴史が動いた』で、「幕末ニッポン・幻の遷都計画」として、平成14年5月に放送されていたのですね。完全に見逃していました。惜しいことをしましたが、内容を知りたいよりも、この「大阪遷都計画」があったことを全国放送された事実が重要なので、NHKの番組のHPをリンクしておきます。内容説明を見ると普遍的な事実を述べられています。

NHK「その時歴史が動いた」
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▼大阪放送局制作の番組ですが、NHKの番組要約を入れておきます。
第133回
幕末ニッポン・幻の遷都計画
~江戸か大坂か?大久保利通の大改革~
その時:明治元(1868)年10月13日
出来事:明治天皇、江戸城に入城する

 日本の首都は、京都か大坂か、それとも江戸か?幕末の最終局面、都を京都から移そうという、大胆な計画が打ち出された。その行く先は、私たちが常識のように考えている東京(江戸)ではない。大坂であった。
 この大阪遷都案を画策したのは薩摩藩士、大久保利通。大久保の遷都構想は、17歳の若き天皇を、平安朝以来の京都の保守勢力から引き離すことで、新体制のリーダーとしての成長を促すと同時に、天皇親政の新たな近代国家が誕生しようとしていることを、国の内外にアピールするという、画期的なものだった。・・・

 幻に終わった、大久保利通の大坂遷都計画とはどのようなものだったのか?そして大久保はどのようにして、未曾有の大改革となる「東京遷都」を成し遂げていったのか。その背景の知られざるエピソードを紹介しながら。遷都が日本にもたらしたものは何だったのか考える。


◆詳しくはNHKの番組HPをご覧いただくことをおすすめします。偏向著しいNHKがよくできた番組だと思います。最終的に江戸が帝都となる逆転劇なので東京も気持ちよく見れるのでしょう。
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 ▲大阪上空からの空撮です。梅田から中央大通までと、東は大阪城まで入っています。広大な大阪城の緑地が新鮮な印象を与えます。

◆今回、私の撮影の写真以外にネット上にあったものを一部採用させていただきました。撮影された作者の方にweb上ながらお礼申し上げます。
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by osaka-salon2 | 2008-12-28 15:12 | 大阪の歴史

『梅田阪急ブランドは今』

▼梅田阪急ブランド、阪急神話の源流は「阪急三番街」のオープンに始まると思っています。それ以上昔は知らないのもありますが、意外に新しいといえるかもしれません。

「阪急三番街」は大阪万博開幕をひかえた1969年11月30日、現在の阪急梅田駅の移転とともに開業したものです。 3階が駅のプラットホームでその下、地上2階から地下2階に渡ります。面積は8万㎡あまり、何より衝撃的だったのは地下2階に川の流れを取り入れたショッピングゾーンが出現したことでした。『川の流れる街』が阪急三番街のキャッチフレーズでした。

▼それから、よく梅田に用もないのに通いました。そしてさらに驚きました。
御堂筋線南改札を上がると梅田地下街はすでにありましたから、そこから少し扇町方面に行くと、阪急梅田コンコースへの階段があります。ここから阪急の施設全体を見たときの驚きは「凄い、凄過ぎ」でした。その豪華さ、エスカレーターやムービングウォークのやたら多いこと。
もう一つは1階に出来た「紀伊國屋書店」の大きさも衝撃でした。

▼そんなスケールの大きさに、やっぱり「梅田」は凄いなあ~と、心底感心したものでした。
もちろん今も梅田にはよく行きますが、例の『川の流れる阪急三番街』には、もう30年以上行ったことがなかったのです。
かなりのご無沙汰ですが、はたと思い立って行ってみることにしたのでした。
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  阪急百貨店です。工事中なのでコンコースの豪華さは減じています。

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 ▼阪急百貨店を左にさらに北に進むと、左からJRの横断歩道からの流れが合流し、ムービングウォークがあります。長いのは当り前ですが、驚くべき本数が並んでいるのが特徴でしょう。ムービングウォークがこれだけ並ぶところは全国にもない。何本あるのか正確に知ってる人はまずいないですが、7本でしたが昔はもっとあったような気がします。ここにも日本一はあったのでした。
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▼ムービングウォークを降りると、エスカレーターが駅改札への上りと、地下への下りがあります。下りに乗って地下街へ。もう一段地下2階まで降りると、「ありました~」。。昔と同じ川の流れが・・・
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▼上流へたどると、池の広場で、まわりは喫茶店らしきお店がいくつか。
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▼人だかりがしていたので見ると、ミニコンサートをやっていました。滝もあったのですが、北の茶屋町の方だろうか。
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▼帰り道、やはり紀伊國屋に立ち寄りました。お馴染み「ビックマン広場」は待ち合わせの定番。
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by osaka-salon2 | 2008-12-26 15:12 | 梅田

梅田:大阪駅前第三ビル展望台から

▼梅田の展望スペースの一つです。33階に上がってみると、飲食レストラン街になっていて、東西に展望スペースがあります。
東側は京橋方面でこんな感じ、左に天満OAP、右にOBPが見えています。出来て何十年もたつと新鮮味はないようです。
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▼東南側は中之島・北浜方面です。こちらは鮮度良好、「北浜タワー」が存在感を高めています。遠く上本町方面にも林立する超高層が確認できます。
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▼西側のお馴染み定番ビル群です。カメラの習性で歪むので撮りにくい。梅田DTタワー入れてなかった。
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▼あとは西南側の堂島・中之島です。「堂島アバンザ」と「アクア堂島」、いいビルだけど、高さが今一歩なのが惜しい。毎日新聞の跡地はもうすぐ建ち上がるでしょう。
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▼本日のおまけは、梅田阪急ビル建替え。かなり上がりました。昨日の産経新聞の夕刊一面をこのビルが飾っておりました。
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◆平日の昼間でしたが、地下鉄西梅田駅からこのあたりぶらついてきました。B1階とB2階あたり、昼どきはサラリーマンで飲食店は賑わっていましたが、ビルのOL以外女性は少なめなのが気になります。オトコ専門の地下街はいただけません。上の階はオフィスなので問題はないのですが、公共通路的な地下のテナント部分。
女性が寄り付かない理由はただ一つ、あまり綺麗じゃないこと。「ディアモール大阪」の地下街のとびきりの綺麗さとはあまりの格差です。
▼「ディアモール大阪」には、こんなクリスマスツリーもありました。
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◆何かと批判が多い大阪駅前再開発ビル群ですが、地下のシャッターを閉めた店舗とか、ビルのグレードとか何も言いません。お役所仕事であってもセンスを磨いてほしいのは、ネーミングのセンス。
この名前はいただけません。地方の駅前再開発ならいいかもしれませんが、『大大阪』ですよ。『天下の大阪』ですよ。しかも『天下の梅田』です。それが「駅前」って、うらぶれた語感、印象になりませんか。大阪の価値を落とす名称ということです。
東京マスコミはこうした印象操作はよく心得ていますので、大阪にはカッコいい名前は避けています。だから「キタ」とか言って直さないのです。これに影響を受けて大阪自身も流されて「キタ」などと言ってはいけないのです。つまりマスコミの言い方をそのまま言わないのが正解です。
ここの住所表示は「梅田」ですが、私なら『曽根崎第一ビル』『曽根崎第二ビル』とします。周りの住所は「曽根崎」となっていますので・・・。
◆そうそう、JR東西線の「北新地駅」もいけません。私は『曽根崎駅』を推していたのですが、得体の知れない力(大阪を立派にさせたくない勢力)に、へんな駅名にされてしまったのでした。
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by osaka-salon2 | 2008-12-25 13:11 | 大阪の景観

【検証:大阪の道路】国道176号・十三バイパスの一方通行は?

▼国道176号十三バイパスの一方通行はこれでいいのか?が、私からの問題提起でしたが、
『一方通行は諸悪の根源』という最初に結論ありきなのか、あるいは私の間違いの可能性も否定できません。確認のためもう一度走ってきましたが、区民センター前で渋滞していました。
以下にもう一度、掲示板から転載します。

◆『現状の一方通行では、十三以北から淀川以南の大淀・福島方面に行くには十三大橋を渡るしか道路はないのですが、十三バイパスが相方向だったら、この新十三大橋を使うことができます。

十三の主要道路は176号線以外に、加島からの十三筋と、新北野を東西に横切り、塚本・歌島橋からの淀川通りがあります。
これらの道路からもどうしても旧十三大橋を渡る必要がありますが、十三バイパスが相方向だったらダイレクトに福島方面に行けることになります。道路が一本の機能と二本あるのとでは雲泥の差と私は思うのです。
十三バイパスはあとでつくったのですから、一本が二本になった効果は絶大なはずです。それを二本ありながら一方通行によって一本の機能にしてしまったのが間違いと考えております。

それと十三バイパスの設計は根本的な誤りがあります。
淀川以南が入口で「なにわ筋から2車線」「中津から2車線」の合計4車線、本線も4車線ですが、私の理論では入口の車線数は少なくても問題はないこと。
ところが淀川を渡り終えて、左に淀川通りへの降り口ランプ、そのまま4車線でやや右カーブで、右に淀川通りからの入口があって、今度は左に十三筋への降り口2車線で、ここから車線が2車線に減少して、右側に武田薬品専用のランプがあって、左から十三筋からの上りランプが2車線の本線に合流して、右に直角に近い急カーブで2車線のまま区民センター前交差点に降りる構造です。
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 ▲写真は直角にカーブして、東に向きを変えた区民センター前からの渋滞の様子

区民センター前以北の国道176号が片側2車線なので、十三バイパスからの降り口も2車線でOKと考えたのでしょうが、直進できる道路もあるうえ、176号南行きもあるので、区民センター前は左折、直進、右折車線(戻ることになるが)が必要です。
左折2車線、直進・右折をそれぞれ1車線としても、合計4車線が必要ということになります。
計算上は相方向道路としての交差点の必要車線数で、現状の一方通行であれば、交差点手前の車線はもっと必要と思います。途中の本線の車線は一方通行でも2車線もあれば十分です。

新御堂筋もこれと同様の問題があって、南行き梅田降り口は過去に何度も降り口を追加した経緯があります。それでも渋滞は解消しなかったのですが、もっとも新しい1号線を越えるランプが追加されてほぼ解決した状況です。ここは1車線ながら信号の手前で2車線にしてあります。
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▲新御堂筋・梅田降り口ランプ、左の淀屋橋方面は新たに増設されたランプ

新御堂筋をよく考えてほしいのですが、JR線を越えるSカーブの付近は2車線です。左に梅田センタービル「ヘプの観覧車」や「ボートピア梅田」のビルが見えるあたりです。この2車線の流れをさばくためには、降り口ランプは最初に中央に梅新東に1車線、右に南森町へ1車線、左に淀屋橋への1車線ですが、梅新への降りた信号では2車線になっています。淀屋橋方面へも信号の手前で2車線です。南森町への信号部分だけは1車線のままですが、これで降り口合計の車線数は5車線になります。
信号のない2車線の高架道路の流れをさばくためには、少なくとも信号の手前で5車線くらいは必要ということになるのですが、いかがでしょうか。

万博公園外周道路は、3車線一方通行ですが、外側1車線は左折用車線のようにしか機能していないので、実質2車線でも十分です。

全般的に大阪市内の道路は一方通行という、無駄が生じる構造ながら、信号システムで制御されて、格好がついてる感じがします。』

◆北行きの十三バイパスを区民センター前まで、実際に走ってきました。
交差点信号では2車線になっていますが、方向を指示する案内標識はありませんでした。道路に白線で左側車線のみ、左折の矢印がありましたが、右側車線には矢印はありませんでした。ですから、左折・直進・右折もできるのですが、右折する車はなかったようです。規制が多く見落としもあるので違反に問われないか不安になります。
それから176号を新高方面に北方貨物線の跨線橋を越えてから、また引きかえして、今度は南行き、梅田方面に走ってみました。

▼国道176号・区民センター前交差点で、南方面を向いた写真です。阪急神戸線を越える跨線橋は南行き3車線の一方通行になっていますが、3車線の必要はない。下の2枚目写真は十三交差点の信号待ちです。
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▼十三大橋を渡って中津まで来た写真です。
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◆十三バイパスの北行きを一方通行から相方向にした場合、どうなるのか。白線の引きかえだけでは無理で、南行き入口ランプの新設が必要になります。
とりあえず、考え方のみ記しておきたいと思います。北行き一方通行4車線のバイパスを南行き1車線、北行き3車線として必要ランプを追加する。
現状、176号線南行き3車線の阪急神戸線跨線橋は一方通行とせずに北行き1車線、南行き2車線とする。3車線の必要がない。これで北行き車線が1車線増えることになるが、これでも渋滞解消は無理な感じで、いちばんのネックのバイパスからの区民センター前合流交差点への、信号手前でもう1車線の増設が必要でしょう。新高1の北行きも渋滞するので、バイパスの新高までの延長も考える必要がありそうです。区民センター同様、阪急神戸線に沿って新高1の西側からの取付けとしたい。
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by osaka-salon2 | 2008-12-24 23:05 | 大阪の道路

天保山のクリスマス

この時期各地でイルミネーション花盛りとなっていますが、天保山ハーバービレッジ・海遊館のイルミネーションファンタジーです。
▼とびきりのイルミに、夜になっても大変な賑わいでした。
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by osaka-salon2 | 2008-12-24 21:23

【検証:大阪の道路】これでいいのか、なにわ筋

◆「都市の景観と躍動掲示板」で議論になっている道路問題。道路の検証を試みたいと思います。mさんから提起のあった『なにわ筋』はこのままでいいのか、私もイカンと思います。
以下に掲示板でに書いた私のレスを引用します。
『なんですって、なにわ筋が一方通行として設計されたなんて初耳ですね。御堂筋も含めてそれはないと思いますよ。
もちろん将来的にも一方通行にすることもないと思います。

御堂筋もとうぜん一方通行として設計されたわけではないですね。しかし一方通行化の決断の決め手になったのは、現状のなにわ筋の使い辛さと同様の事情があったのでしょうね。

私もこれはなんとかすべきと思います。
じつは、ここにも大阪の失敗があるのが残念でなりません。
いわば、戦前の車の少ない時代に設計された理想(景観重視)の道路なのかもしれませんが、やはり道路の第一目的はスムーズな交通なのは論を待たないと思います。

片側3車線に、というか。普通に中央分離帯にすれば余裕で6車線の道路になって、機能として格段によくなるのは確かですね。右折・左折の専用レーンも十分に取れると思います。

今でも望みを捨てていないのは、なにわ筋線の工事で道路を掘り起こすときこそ、最後のチャンスと考えます。それを逃したら永遠にまともな道路にはならないでしょうね。
ちょっときつい意見でしょうか。またOCPさんに怒られそうですが・・・』

▼しかし、私が何を言っても、世間で問題意識がないのでしたら、無駄な遠吠えになってしまって、むなしさだけなのが辛いです。
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 写真を入れます。場所は西大橋の少し南の歩道橋から「北堀江」になります。

『ですが、もうひと言・・・
あと考えられる道は、御堂筋の対面通行の実験に使うのにテスト路線になると思っています。
現状の二列分離帯で、どこまで右折・左折専用車線が可能か?の実験をしてみるのです。
その場合、大きな交差点のみ右折可、右折専用車線の設置とするのが適当と思います。もちろん左折専用車線も必要です。最近の渋滞要因は左折障害になっています。ですから左折レーンが重要です。

そして、本線の片側車線は中央の高速車道2車線、緩速車道1車線で、計3車線です。これは交差点でも直進貫通車線数は確保して、直進3車線プラス、右折・左折車線1車線づつの2車線必要ですから、計5車線が交差点出口の必要車線数です。
これに対向車線は3車線貫通分必要で、交差点の合計は8車線必要となります。道路幅員は何とか確保できると思います。

現状、中央に4車線、側道に少し余裕のある2車線と、残り分離帯2本の敷地を合わせて8車線になります。つまり交差点から20メートル前後の分離帯は撤去しないことには実現できないことになります。
貫通3車線は多少のカーブが必要になりますが、現状の2列分離帯でも対向6車線道路に改良すことは可能になるわけです。

右折車線を設置するには、どうしても分離帯を動かさないにしても中央で5車線分の幅員が必要となりますので、それならいっそのこと、左折専用車線も確保した方がより円滑な流れになると思います。
これが私が以前から考えている「なにわ筋」の改良案です。 』

▼上の写真に修正を加えた画像です。貫通3車線と右折・左折車線を取った場合の白線なり、分離帯の改良です。
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◆本当のところ、全部やり変えて、中央分離帯にするのがいいですけどね。もっと余裕が出ます。
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by osaka-salon2 | 2008-12-21 18:27 | 大阪の道路

【難波】西道頓堀に「浮庭橋」開通

湊町リバープレースと南堀江を結ぶ『浮庭橋』が完成し、20日から開通したようです。
日経ネット関西版

湊町の道頓堀川ですが、両岸のリバーフロントは整備されています。湊町側には「なんばハッチ」とかウッドデッキのリバーサイドの遊歩道、観光船の発着場もあります。北側の「リバーテラス堀江」はリゾートっぽくてカッコいいです。
▼『浮庭橋』は斜めに架かる吊橋風なデザインもなかなかに面白いです。
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▼橋の部分はカーブしたウッドデッキ、両側は土が入れてあります。芝生を張る予定で未済工事
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▼どこかに橋の名前が入っていないかと、見たらありました。この書体一時はやってたね。
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▼円卓を囲んだベンチかな、ここにも土が、「芝生養生中につき立入禁止」とか。芝生いつ張るの。
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◆以前から工事中だったので少し期待してましたが、期待ほどでもなかったか。
正直、やはり芝生がまだ張れてないのは、ささいなようでもイカンよ。全然違うのよね。土のままなら無い方がマシです。
◆何というか、四国のかづら橋風というか、十津川村の谷瀬の吊橋風いうか。コンセプクトはいいんだけどね。やっぱし谷瀬の吊橋が最強ということか!
▼奈良県十津川村の「谷瀬の吊橋」、これぞ日本一!
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by osaka-salon2 | 2008-12-21 16:35 | 難波

【千里新都心】千里中央の今昔

▼大阪北部の『千里新都心』を考えます。「東大阪新都心」「中百舌鳥新都心」とともに府の新都心計画のなかで完成度も高く、街の成熟で住民の老齢化が問題になっているくらいです。この場合の千里とは「千里中央」です。
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▼千里中央は東西に「大阪中央環状線」、南北に「新御堂筋」が交差し、大規模な「千里IC」を形成しています。この十字クロスの北西側は業務地区でオフィス街。北東側が地下の千里中央駅を軸に「千里セルシー」や「阪急」「大丸ピーコック」「よみうり文化センター」など、多くの商業・文化施設の集積があります。目立った高層ビルも「千里朝日阪急ビル」や「千里ライフサイエンスセンター」が聳えています。最近はヤマダ電機の「LABI千里」や「ザ・千里タワー」の高層マンションが建設されています。
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 写真:千里朝日阪急ビルと大阪モノレール千里中央駅 ▼写真下:ヤマダ電機の店舗
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▼千里中央の発展の背景には、地下鉄御堂筋線の延伸となる北大阪急行の千里中央駅があること。同時に新御堂筋が通じている点があります。この二つの交通インフラは新大阪・梅田・難波直結であり、道路の新御堂筋も全線立体交差の特別な道路です。このような背景で、千里という街は大阪の都心機能を担うべく特別につくられた新都心といえると思います。ですから、ここ千里の電話市外局番は「大阪06」になっています。梅田からの距離は12kmです。行政は豊中市に属します。
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◆戦後、昭和40~50年代に大阪は凄まじい郊外化がありました。都市のドーナツ化と言われますが、主として人口の郊外化です。大阪市内の住民の子息のほとんどは郊外に移転したのです。奈良県や兵庫県に移転した人も多いのですが、大阪都心とつながりを持つ通勤圏への移転ながら、これでは大阪市内の人口が減るのは当り前の状況でした。
当時の価値観も郊外に住む方が文化的で高級な雰囲気さえありました。住宅だけでなく企業もその流れで郊外に移転したくらいでした。たとえばMBS毎日放送は「千里丘放送センター」を建設して郊外に移転しました。ほんと流行とは恐いです。血迷った行為さえ正当になるのですから。
ここ千里中央の北西側にあるオフィスビル街もそんな流れで、建設されたのが多いです。主として東京にあるコンピューターのバックアップ機能が西の千里と言われたりしますが・・・。
とにかく、住民の思想にも影響して、私も大阪市内に住むより豊中に住むのが高級と勘違いしていました。よくよく考えたら郊外化といっても豊中であったり、堺市であったりですから、大阪市域の面積が狭いから郊外に見えただけです。
◆ところがもう20年以上前のことですが、職場の同僚で広島出身の人がいたのですが、そこで都市についての議論になったときに、その人が言ったのは、「やっぱり会社は大阪都心でないとダメだよ」「郊外にある会社なんて価値ないっすよ」「電話も大阪06でないとね」と、そんな意味のことを言ったのでした。私は「ハッ!」として、「我に返り」、目覚めた思いでした。
しかし、この千里中央は単なる郊外ではありません。「千里新都心」「業務拠点」ですから。それに郊外といっても、この程度の距離は東京であれば23区内ですけどね。
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◆ところで、大阪都構想とか大阪市域の拡張とかときどき言われますけどね。その場合どこまで区部とするかは、もっとも参考になるのが「大阪06地域」です。これも東京23区よりかなり狭いですけど、最低これくらいは大阪市でないと具合悪いと思われる範囲は入っています。
おそらく横浜市の面積と同じくらいか、ちょっと「大阪06」が小さいかもしれませんが。でも、市外局番一桁の「06」、市内局番4桁で、06-〇〇〇〇-1234ですから、大阪の規模をある程度反映したもので、「横浜が大阪より人口多い」と言っても、「大阪は市内局番4桁だよ」が最強だと思いますよ。
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by osaka-salon2 | 2008-12-18 18:04 | 大阪の街