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大阪情報サロン

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大阪は「摂河泉」全体で一つの都市と認識される

◆いろいろな意見を伺っていると、大阪という都市は他の都市と違うのが浮き彫りになってくるようです。
それは大阪府下の摂津・河内・和泉が全体として、一つのまとまりに意識され、都市圏ないしは一つの大阪という都市に認識されているようです。住民の帰属意識がそういう傾向が強いのは他の府県と違うところでしょう。この場合、大阪市内は都心地域として別枠の扱いのニュアンスがあるのかもしれません。
ですから、ここでいう「摂河泉」は大阪市内を除く大阪府下全域を指すことになります。それが現在における「摂河泉」という地域名の主たる意味として使われるようです。ところが「摂河泉」と一緒にせずに摂津・河内・和泉とばらばらにすると、少し意味も違ってきます。まず、大阪市内のほとんどは「摂津」になります。住吉大社はもちろん、阿倍野区・東住吉区などはバリバリの「摂津」です。平野区・生野区の一部からは「河内」となります。
◆「摂河泉」の境界は堺の三国ヶ丘という話は有名ですが、大和川の付け替えによって、明治になって、摂津と和泉の境界は堺の大小路から大和川に変更されているようです。放水路としての大和川ができたことは地形的な制約はやはり大きいようです。大和川がなければ堺も北側は摂津であったとは驚きますね。現在言われるところの「摂津」ないしは「北摂」のイメージとかなり隔たりがあるようです。「摂津」が兵庫県の奥深くまで含んでいるのが、どうしても北側のイメージになるということだろうか。
戻りますが、大阪府下が一つの都市のイメージというのは、つまり大阪府全体が大阪という一つの都市のイメージになるのですが、これは大阪府下在住者にはよく理解できると思います。大阪としては大事にしたいことだと思います。全国の都道府県で大阪だけが達成している事実だと思います。これを裏付けるような事象はいろいろあると思います。
たとえば、自動車のナンバーですと、「なにわ」「大阪」「和泉」「堺」の四種類が大阪のナンバーになります。この地域割りは外部の人には理解できないでしょうね。「大阪」ナンバーには大阪市内は含まれていないという事実こそ、大阪という都市は大阪府全域を含むと理解できるのではないでしょうか。
大阪を名乗る国立大学も大阪市内にはありませんね。大阪外国語大学は大阪大学に統合されましたので、阪大と大阪教育大が国立大学になりますが、阪大は吹田・豊中と旧外大は箕面です。これはどう理解すればいいのでしょうね。やはり、吹田も豊中も大阪の街の一部と理解したうえでキャンパスを造ったと思われます。大阪教育大に至っては、なんと奈良県境ですね。しかも山の上へエスカレーターで上がる凄さです。
◆大阪という都市は都市の法則に従って、その立地を取捨選択してきたようです。大阪の都市法則によると、大学は必ずしも都心立地の施設ではない。あるいは逆に都心には向かない施設と判断されたことになるようです。私は以前からこのように考えてきましたが、「上町台地に大学は必要」と皆さんがおっしゃるのを考えると、再考せざるをえません。「大学は都心にあるのは不都合」という大阪の判断は正しいと思うのですが、まず「都心」の意味をどう捉えるかで大きく変ります。大阪が判断した「都心」は厳密な都心で中之島・淀屋橋のビジネス地区を都心と考えたようです。あるいは「天王寺・上町台地は都心ではないと考えるのか、都心の範囲を広げて都心と考えるのか」で大きく変わるということです。いずれにしても、大阪の誤りの一つは帰属意識、精神の問題を無視したことではないでしょうか。都心の周辺であれば、そこに帰属意識が生まれ社会人となっても定着する要素が大きくなります。そう考えると大学立地は厳密な都心には向かないけど、その周辺が適地とするのが正解のような気がします。

◆大阪は仁徳天皇の高津宮(たかつのみや)や、大化改新の難波宮の時代には首都であり、日本最古の都市といわれております。また明治維新では大久保利通の推す大阪遷都案は前島密の江戸案に破れ、大阪遷都は実現しませんでしたが、大阪は見事に蘇えり躍進して現在に至ります。戦後の東京集中には著しいものがありますが、一極集中政策のなせる業でしょう。
全国の人たちは大阪を並みの都市、あるいはそれ以下のように見ているようですが、偏向報道や偏向教育にまんまと騙されてしまったのですね。大阪が立派過ぎたために、東京が極度に大阪を恐れたのでしょう。以前にも触れましたが和歌山県人の考え方は、全国の地方人の思想に近いです。和歌山県が近畿の地方たる所以です。
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by osaka-salon2 | 2009-05-13 16:23 | 都市論
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