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大阪情報サロン

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【大阪15km圏】神戸・西宮・宝塚、山の手住宅地から

◆梅田スカイビルのような展望台から大阪平野を眺めると、西側には海が光っているが、北と東と南側の三方は山に囲まれた平野なのが分かる。その中央に大阪の都心市街地がある。大都市が成立する条件を見事なまでに備えている。山までの直線距離は概ね15kmである。北側の箕面も東側の生駒も15km行くと山に達する。南側は葛城金剛山から、和歌山寄りは和泉葛城山系となり、かなり南下するので山の稜線は遠く霞んで見える。大阪の市街地が南北に長いことが分かる。中心点を大阪市庁のある中之島として、南に15kmの距離を取ると三国ヶ丘となる。このあたりから南は和泉丘陵となるから、やっぱり15kmで山や丘陵に達することになる。
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では、西側はどうなのか、最初に海が光っていると書いたが、正確には海は西側でも南寄りになる。地図で確認すれば分かるのだが、梅田と神戸の三宮だと、三宮が南にあり緯度が低い、神戸駅だとさらに南で本町あたりの緯度になる。それで西側の15km圏はどこなのか見ると、夙川・甲陽園になり、これは六甲東部の山裾になる。このあたりまでが大阪平野ということになる。北部から西部の扇形地は阪急平野の言い方もあったほど阪急の影響の強い文化圏となっている。つまり中之島中心点からどの方向も15km圏の平野が広がっているのが分かる。これは東京23区の境域にほぼ等しい。東京は千代田区中心点から若干広い16km圏を特別区とした経緯がある。

e0161853_19421772.gifさて、大阪の地形を語るときに、もう一つの重要なことは河川である。梅田から北側を見ると、1,000mも行くと淀川がある。明治になって新しく造られた放水路だから新淀川と言われていたが、いつの間にかこっちが「淀川」になり、もとの旧淀川は「大川」となった。もう一つは南側にある「大和川」であるが、こちらは古いのだが、淀川と同じような経過を辿っていて、300年前に造られた人工の放水路であることもよく知られる。付け替え以前の大和川は、石川合流点から長瀬川や玉櫛川など、何本もの河川で大阪平野を北流し上町台地の北側で淀川に合流していた。この大和川の付け替え工事が300年前になる。
それよりはるか昔になるが、仁徳天皇の「堀江の掘削工事」とは大和川の治水工事だったようで、以下のような記述がある。
『日本書紀』巻十一の仁徳天皇十一年十月の条に、『宮(高津宮)北の郊原を掘りて、南の水(大和川)引きて西の海(大阪湾)に入る。困りて其の水を号けて堀江という。又、将に北の河のこみを防がんとして、以て茨田堤を築く』とあり、上町台地の北端、現在の大阪城の北側の大川から中之島方面へ通じる水路を掘ったとされ、大和川の排水を促す工事としては最初のものであり、淀川左岸の築堤とともに日本で初めての大規模治水工事と考えられている。

長々と書いているのは、何が言いたいのか。大阪の歴史は無茶苦茶に古いだけではない。よく上町台地が半島のように突き出していて河内低地は河内湖であった。もっと古くは『生駒の山裾まで河内湾の海だった』というのだが、これには時代認識があまり正確に検証されていない気がする。大和川付け替え工事のサイトを見ると、仁徳天皇の難波高津宮の時代に当る1700年前は河内湖になっているのだが、私はもっとはるか昔に大阪平野は陸地になって、河内湖はなくなっていたのではないかと思えるのである。確かに森之宮の東には「深江橋」や「深江」の地名もあり、それは海であったことを物語っているのであるが、それは少なくとも何千年前であって、千年や二千年前ではないと考えているのである。これは私自身の今後の課題である。

◆さて、大阪15km圏の住宅地に話は戻る。帝塚山など近辺の住宅適地が埋まると、大阪船場の資産家向け住宅地は早くから郊外に目が向けられた。明治から大正にかけて、同じ大阪15km圏でも武庫川西部の兵庫県の山側が最も早くから開けたようである。
神戸東灘区や芦屋六麓荘から苦楽園、甲陽園、宝塚にかけての高台の住宅地に行ってみると、非常に眺望が良好なのが分かる。阪神間の市街地と大阪湾を望み、遠くに梅田中之島の超高層ビルが林立しているのもはっきりと見える。
これを見ると「やっぱり大阪は凄い」という気になる。百聞は一見に如かずの通り、朝な夕なに見る視覚効果は絶大だと思う。仕事でこのあたりもずいぶん行ったことがあるのだが、神戸東灘区の御影山手や甲陽園、宝塚の逆瀬川や松風台、はては川西寄りの雲雀丘花屋敷にも行った記憶があった。

▼雲雀丘花屋敷から梅田方面の眺望
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それで先日、雲雀丘花屋敷に行ってみる気になった。地図で確認すると伊丹空港から、その延長上に梅田が見える位置になる。JR川西池田駅からも行けるが阪急雲雀丘花屋敷駅からも登ることができる。住宅地はビックリするような急な傾斜地になっている。ここも阪神間に劣らず高級住宅地のようであるが、あまりに坂道が急で足腰が弱くなっては住み辛い。気を付けないと車がバックしそう。小さな公園の横から見晴らしの効く場所を確認して車を止めた。雲雀丘花屋敷から梅田までは17km余りの距離になる。
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標高は150~200mあたりだろうか。梅田方面を目視してみると、やはり思った通りの風景が広がっていた。伊丹空港の向こうに高層ビルが林立しているのが見える。東を見ると五月山近くの阪神高速の斜張橋の美しい姿も望めた。
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by osaka-salon2 | 2009-06-19 19:50 | 都市論
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