ブログトップ

大阪情報サロン

osakasalon.exblog.jp

カテゴリ:梅田( 6 )

西梅田あたり散策

▼西梅田あたりを見学してきました。硬くない方のらくらくネタになります。
まずは、「ヒルトンプラザ・ウエスト」のビルが何気に格好いいです。四角いビルですが、大阪証券取引所ビル風の全面ガラスカーテンウォールがお洒落です。でも、中は用がなさそうなので、東向いの「ヒルトンプラザ・イースト」の方に入りました。
e0161853_22581219.jpg

e0161853_22584620.jpg

▼ヒルトン大阪こと「吉本ビルディング」ですからお馴染みです。
エスカレータもあるけど、エレベータで上がることにします。目指すは5・6階の「淳久堂書店・梅田ヒルトンプラザ店」でした。はじめてのお店♪で、一度来たかったのです。
e0161853_2312125.jpg

e0161853_23132343.jpg

▼淳久堂さんは専門書の品揃えの良いのが特徴です。建築の本もいろいろ・・・
書店以外は、女性向きのブティックモール、ネイルアートのお店も。
下りはエスカレータにしました。
それにしても、凄い吹抜け空間ですよ。確認してないけど、10階くらいまで吹抜けかな~。
ガラスの向こうには中央郵便局とか梅田スカイビルとか見えています。
e0161853_23222641.jpg

e0161853_23232481.jpg
 1階フロアに喫茶コーナーがあったりしますが、ホテルとは仕切られていますね。ホテルの方はもう少し暗くてゴージャスな感じでした。
[PR]
by osaka-salon2 | 2009-01-09 23:34 | 梅田

『梅田阪急ブランドは今』

▼梅田阪急ブランド、阪急神話の源流は「阪急三番街」のオープンに始まると思っています。それ以上昔は知らないのもありますが、意外に新しいといえるかもしれません。

「阪急三番街」は大阪万博開幕をひかえた1969年11月30日、現在の阪急梅田駅の移転とともに開業したものです。 3階が駅のプラットホームでその下、地上2階から地下2階に渡ります。面積は8万㎡あまり、何より衝撃的だったのは地下2階に川の流れを取り入れたショッピングゾーンが出現したことでした。『川の流れる街』が阪急三番街のキャッチフレーズでした。

▼それから、よく梅田に用もないのに通いました。そしてさらに驚きました。
御堂筋線南改札を上がると梅田地下街はすでにありましたから、そこから少し扇町方面に行くと、阪急梅田コンコースへの階段があります。ここから阪急の施設全体を見たときの驚きは「凄い、凄過ぎ」でした。その豪華さ、エスカレーターやムービングウォークのやたら多いこと。
もう一つは1階に出来た「紀伊國屋書店」の大きさも衝撃でした。

▼そんなスケールの大きさに、やっぱり「梅田」は凄いなあ~と、心底感心したものでした。
もちろん今も梅田にはよく行きますが、例の『川の流れる阪急三番街』には、もう30年以上行ったことがなかったのです。
かなりのご無沙汰ですが、はたと思い立って行ってみることにしたのでした。
e0161853_13375381.jpg
  阪急百貨店です。工事中なのでコンコースの豪華さは減じています。

e0161853_14495418.jpg
 ▼阪急百貨店を左にさらに北に進むと、左からJRの横断歩道からの流れが合流し、ムービングウォークがあります。長いのは当り前ですが、驚くべき本数が並んでいるのが特徴でしょう。ムービングウォークがこれだけ並ぶところは全国にもない。何本あるのか正確に知ってる人はまずいないですが、7本でしたが昔はもっとあったような気がします。ここにも日本一はあったのでした。
e0161853_13462318.jpg

e0161853_13473584.jpg

▼ムービングウォークを降りると、エスカレーターが駅改札への上りと、地下への下りがあります。下りに乗って地下街へ。もう一段地下2階まで降りると、「ありました~」。。昔と同じ川の流れが・・・
e0161853_14335893.jpg

▼上流へたどると、池の広場で、まわりは喫茶店らしきお店がいくつか。
e0161853_14342012.jpg

▼人だかりがしていたので見ると、ミニコンサートをやっていました。滝もあったのですが、北の茶屋町の方だろうか。
e0161853_14582021.jpg

▼帰り道、やはり紀伊國屋に立ち寄りました。お馴染み「ビックマン広場」は待ち合わせの定番。
e0161853_14584044.jpg

[PR]
by osaka-salon2 | 2008-12-26 15:12 | 梅田

私鉄を知らないと「梅田」は解らない

▼梅田が地理的に有利な場所であるのは誰の目にも明らかです。神戸・宝塚・京都に放射状に路線網を形成し、近畿広域の中心といえます。JRとともに私鉄も、梅田を起点に「阪急」「阪神」が路線を展開しています。
大阪のターミナルが難波や天王寺などに分散しているのは、東京を除外すれば大阪の街がそれだけ大きかったことによります。在阪私鉄5社と呼ばれ、東京の7社に比べれば少ないのですが、大阪の方が東京よりも早くから私鉄が発達し規模も大きかったのです。
e0161853_2282383.jpg
 上の写真はほとんど阪急の施設。右側に阪急百貨店、阪急グランドビル、左に阪急ターミナルビル、阪急梅田駅の屋上駐車場が見えています。線路が見えるのはJR京都線

▼私鉄の規模の大きいことは現在においても、すこし見ればすぐに判ると思います。阪急や南海に見られるターミナル駅の規模や、大阪側起点は昔から複々線となっている路線が多い点など、注目すべきことが多いのです。
e0161853_22135884.jpg
 阪急十三駅から梅田方面の眺めです。この駅から梅田まで3複線の線路が並ぶ様子。

▼梅田に起点を持つ阪急電鉄ですが、梅田駅からは神戸線・宝塚線・京都線が発着し十三まで3複線の6本の線路が平行していることはご存知でしょう。これだけでも凄いですが、それだけではありません。阪急には千里線があり、淡路でクロスして天神橋筋6丁目から市交堺筋線乗入れる路線があります。つまり阪急は大阪市内起点の路線が四本あるのです。
e0161853_22173232.jpg
 3複線上の3本の電車の並走の様子、神戸線特急の車内から撮影。

▼これに比べて阪神電鉄は路線網は小振りです。来春3月に阪神なんば線が開業すれば近鉄との相互乗入れであり、難波直通という新たなチャンネルがどのような展開になるのか注目されるところです。
梅田以外に起点を持つ私鉄も主要なターミナルはすべて複々線になっています。京阪の天満橋-萱島間、近鉄の上本町-布施間、南海の難波-岸里玉出間などです。このような状況は東京との比較は可能ですが、それ以外の都市との比較は成り立ちません。名古屋を含めた他の都市とは規模が違いすぎるのです。
e0161853_22205298.jpg
 梅田阪急ビル工事着手前のコンコースのグランドドーム
[PR]
by osaka-salon2 | 2008-12-15 22:28 | 梅田

梅田の可能性

e0161853_22485550.jpg梅田の可能性と問題
近畿広域の中心として集積が続く『梅田』の可能性と問題点とは何か。
鉄道における梅田の現状を見てみましょう。新幹線の玄関は『新大阪』でJR線でひと駅で大阪駅、そのまま尼崎・西ノ宮方面に直通しているので、JR利用では少なくとも芦屋付近までは新大阪利用が便利です。山陽・九州方面に向う場合は「新神戸駅」も限定的な利用はありそうです。ここでの問題は梅田以南には大阪駅乗換えが必要になること。地下鉄の場合、大阪都心方面には地下鉄御堂筋線で梅田まで三駅目、難波・天王寺方面にも直通できます。
新大阪の最大の問題は大阪環状線の外側にあることに尽きます。都心の概念は環状線の内側が常識です。いわば放射線上にあるのが「新大阪」で、これでは都心にはなりえない。この弱点を解消できれば大阪の力量は飛躍的に増大すると思われます。
e0161853_22451153.jpg
 大阪駅に発着する快速電車

梅田の位置
JRの電車区間の運転系統は、かなり広域の滋賀・京都・大阪府下・兵庫に渡って、梅田の影響圏にあります。他に東西線系統で大阪北東部から京阪奈学研都市、北西方面では宝塚・三田方面からも通勤通学の流れがあります。
そして近年は大和路線、阪和線の快速の環状線乗入れが実施され、南部方面からも梅田直達の利便性が確保されています。
これらJR線の特徴は大阪駅を貫通スルー運転していることで、短距離の電車なら貫通運転推奨ですが、新快速などのように、滋賀県の長浜から姫路までの運転ともなるとかなりの距離があり、これくらいの距離になると大阪始発にする方が断然大阪にとって利益が大きくなります。
大和路線・阪和線快速の環状線直通運転も、大和路線は「の」の字に一周して天王寺折返し、関空・紀州路快速は半周と三分の一周して京橋折返しです。これも旅客扱いにも問題があり、いかにも手っ取り早くいまの設備で運転できる方法を選択した感があります。快速を大阪始発にできなかったのか悔やまれます。
以前のように大阪駅のホームに余裕があれば、できれば2面4線を使って環状線各駅停車と快速の発着線の分離を計りたい。かりに3番線を環状線外回りとすれば、2番線を快速専用とし、1番線は環状線内回りにできるはずです。2番線は西九条方面への折返し線とします。東京駅の中央線ホームと同様とすれば可能です。つまり環状線の発着線を3線とすれば中線は折返しで始発が可能になります。
e0161853_22461671.jpg
 大阪環状線乗入れの快速:新今宮

鉄道は利益の集中と分散に重要な役割
都市はどれだけ利益を集中できるかが重要になりますが、それは都市そのものの吸引力もあります。しかし鉄道の役割はことのほか大きいのです。たとえば東海道新幹線の終点は東京駅です。けっして大宮・仙台方面にスルー運転していません。これが東京に利益が集中する仕掛けのひとつですね。当然意識的に東京利益の運転系統にしているのです。新大阪から仙台へ直通すれば便利だからと正論を言っても、どこかの県知事さんが要望を出しても、官僚の方はけっして譲らないと思います。
それで大阪のJRは大阪駅は全部貫通運転です。じつは貫通運転は分散の役割があります。
JR京都線・神戸線の新快速は、梅田に集中した利益を電車によって分散しています。三宮にも京都にも分散の力が働いています。これは梅田のおこぼれが神戸にも波及するという意味です。大阪駅始発・終点だったら逆に神戸が梅田に吸われる。ストローされることになります。これはある程度都市間を運転する電車に言える効果でしょう。
ところが都市内を運転する短距離の各駅停車などは別になります。典型的な例は地下鉄です。これは逆に都市にとって貫通運転が鉄則ということでしょう。
かりに地下鉄御堂筋線が四つ橋線のように梅田終点だったら、どうなりますか。梅田に集めた利益を分散して、新大阪・江坂にも、淀屋橋にも難波にも分散しているのが御堂筋線です。貫通運転によってはじめて分散の効果があります。
なぜ分散の必要があるのか、自己の地域への分散ですから梅田だけが肥大になる必要はないのです。この分散効果によって、「福島」も「野田」も「中津」も梅田と同等の利便性を持つことで、土地の価値も同等に近くなることです。
[PR]
by osaka-salon2 | 2008-12-13 22:53 | 梅田

【再録版】梅田&見えてきた大阪都心

e0161853_22555315.jpg西梅田の完成
超高層ビルの集中地区として、西梅田が現在見られるような景観になってから、すでに5年以上になる。以前は梅田南コンテナヤード跡地と呼ばれた遊休地であった。
「阪神電鉄・西梅田再開発1期工事」の看板を掲げた鉄骨が姿を現したのは10年くらい前であろうか。JR環状線の車窓から見える、東西に長い低層部の鉄骨にとてつもなく巨大な予感を感じたのを記憶している。それが「ハービス大阪」だったのである。
「ハービス大阪」ほど期待以上のものが出現した例を私は知らない。おそらく誰の思いも同じではないか。規模だけでなく、これまでのビルにはなかった外観デザインで、設計いかんでここまで美しいものが出来るとは、まさに驚きだった。平成16年11月9日には「ハービスエント」も開業した。規模と美しさを兼ね備えた、これらのビルは評価を不動のものにしたに違いない。
他にも、「明治安田生命ビル」「梅田ダイビル」「大和ハウス工業」などの超高層が軒を接して集中しているのがこの地区の特徴である。

都心軸としての四ツ橋筋
e0161853_22563053.jpg一般的には御堂筋が大阪のメインストリートである。これは道路としても、阪急と南海の両ターミナルを結ぶ立地としてもうなずけることであるが、私は昔から少し違った考えを持っている。
それは、「大阪の都心南北軸は四ツ橋筋ではないか」ということである。江戸時代、中之島・堂島には全国諸藩の蔵屋敷が集中していた。大阪が全国経済の中心だったか
らである。中之島・堂島はそれらを継承した歴史的な意味があると同時に、空いた土地は当然、オフィスビル街へと変容していく必然があった。
場所を区切ると御堂筋より西の中之島西部と堂島の四ツ橋筋から西、出入橋・田蓑橋を結ぶ道路までの地区が大阪の都心といえる地区である。
これまで、ぼんやりとしか見えなかったが、最近の開発でようやく輪郭がはっきりしてきた。中之島・堂島という従来の都心は、そのまま西梅田に接している。四ツ橋筋の桜橋から、曽根崎通り2号線の出入橋との東西の幅をそのまま延長したのが、「西梅田」であり「梅田北ヤード」だったのである。

大阪都心のあるべき位置
通常、都市の中心とイメージされるのは、市役所のある場所である。府県庁所在地ではない。じっさい市役所はそうした場所に建てられている。大阪でいえば淀屋橋である。
都心というもう少し広い区画の概念と違い、まさに中心、点のイメージであろうか。しかし市役所の場所は、どちらかと言えば本当の中心というより、あることによって人々に認識されることの方が多いともいえる。
これと違い、本当の中心を求めるには、重心という指標がある。人口重心と単に平面積から求めたものがある。残念ながら手許に資料がないが、およそのことは言える。
まず、大阪市域の平面的な重心は心斎橋付近であろうか。大阪市域を区切る北の端は御堂筋線の東三国・江坂間の神崎川にあり、南は大和川である。その真中が平面上のおよその重心である。
人口重心はどのあたりになるのか分からないが、大阪府の人口重心は玉造付近にあって、少しずつ北北東に移動しているという資料を見たことがある。
しかし、どこを中心と定めるかの議論からいえば、重心に近いか一致する場所が望ましいのであるが、最も大切なことは、大阪という都市を大阪市域ないしは大阪府域に限定していいのかという点にある。私は少なくとも、都市圏で見る必要があると思っている。少なくとも大阪50キロ圏が都市圏である。神戸・京都がすっぽり入るのが大阪都市圏である。
そんなことを考えながら、どこまで視野に入れて大阪の街づくりをするかが重要だと思う。やはり、大阪としては少なくとも近畿全域、ないしは西日本全体を見る必要があるのではないか。そうなると、心斎橋では具合が悪いし、淀屋橋でも具合が悪い。
近畿全域を見た場合、大阪駅南口の阪神側は、大阪駅前ではなく駅裏ではないかと。大阪駅の北側こそ、大阪の都心に相応しい場所であり、正面玄関とすべきだったのである。
そこに梅田北ヤードの意味があり、他の地区と違う取り組みをすべきと考えている。言わば梅田北ヤードは近畿の西日本の超都心にすべきと考えているのである。
(平成16年11月13日作成)

【補足追記】これは四つ橋筋中心説の根拠を述べたHP掲載の文です。地図をじっくり見ていただきたいのですが、四つ橋筋が大阪駅の中心を貫通していることと、梅田北ヤードの中央南北道路が四つ橋筋になります。地下鉄四つ橋筋線が西梅田終点というのは大阪の失敗です。都市圏内の交通は中心駅を貫通する必要があると思います。反対に長距離路線は終点の都市に利益となります。
梅田北ヤードをそのまま南に延長すると「西梅田」であり、中之島の渡辺橋~田蓑橋間になり、ここを中之島中央としたらどうかと、かなり前に発言したことがありました。一般的には中之島は東部・西部と呼ばれており、しかも四つ橋筋から西あたりは西部と思われているふしがあるけども、中央と呼んだらどうかと言ったのです。
[PR]
by osaka-salon2 | 2008-12-11 22:58 | 梅田

膨張するメガシティ『梅田』

▼メガシティ梅田の開発が加速しています。大阪は不況だの没落だのと言われながら、『梅田の膨張は止まらない』怪物のような街と言えると思います。近畿における一極集中の様相です。まさに大阪・近畿の発展を引っぱる街といえそうです。
梅田には新幹線の駅はありませんので、梅田の影響は近畿圏にとどまりそうですが、新大阪と連携を強化することで、西日本の広域的な中心になっていくことと思われます。
e0161853_22583331.jpg

▼梅田の位置付けは商業集積において、難波や天王寺など他の拠点集積地区をリードし、その差は年々広がっているようです。大阪市内だけではありません。大阪郊外から阪神間、神戸、京都などを巻き込みながら膨張しているのが梅田です。
京都はやや独立性が高いのと、JR京都駅ビルが歯止めとなっている面もありますが、今後、梅田の阪急ビル建替え、大阪駅北ビルのJR三越伊勢丹や大丸増築などのプロジェクトが稼動すれば京都もかなりの影響は必至でしょう。
梅田の強みは既存ビルの建替えが継続していることと、今後は梅田北ヤードに広大な空地があることでしょう。梅田北ヤードの二期まで視野に入れると、少なくとも今後10数年以上に渡って開発事業は継続されるはずです。
現在、工事も最盛期に入っているのが「梅田阪急ビル建替え計画」「大阪駅改良事業」「「大阪駅新北ビル」です。これらは非常に難易度の高い工事だけに長期に渡っていますが、すでに峠を越えて60パーセント以上の出来高まできています。
e0161853_230196.jpg

e0161853_2323746.jpg

▼このような梅田のダイナミックス、あるいはブランド力はどこからきているのでしょう。
おそらく阪急が梅田駅移転事業を成し遂げた時代にさかのぼると思います。昭和40年代初頭、爆発的に乗降客の増加が続いていた阪急梅田駅の拡張を計画し国鉄線北側への移転が決断され実行されたのでした。
神戸線、宝塚線、京都線の順番に移転していきましたが、この梅田駅完成で誕生した「阪急三番街」などのショッピングゾーンや「17番街」「32番街」などに世間の驚きたるやただ事ではありませんでした。このときをもって阪急ブランド、阪急神話が生れたと思います。
当時、都市開発に関心のない人々も『阪急って凄い!凄過ぎ!』と、口々に語っていました。世界初ともいえる『地下街に川の流れをつくり、滝をつくる』これを現実のものにしたのでした。設計施工に当ったのは竹中工務店でしたが、阪急とのプレゼンテーションの中で発想は生れたようでした。
それによって阪急は梅田の盟主に君臨し、地位を不動のものにしたと思います。この水の流れのアイデアはたちまち他の都市の地下街にも波及しました。
その後、阪急の地位に微妙な変化が現れるのは「西梅田・大阪ガーデンシティ」の出現でした。
[PR]
by osaka-salon2 | 2008-12-10 23:05 | 梅田