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大阪情報サロン

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カテゴリ:エッセイ( 5 )

夕方のテレビ『近畿広域ニュース』の攻防は?

◆夕方のテレビは我が家では毎日放送の「VOiCE」にチャンネルを合わせることが多い。
これはMBSナウの時代からくせになってしまっているのもあるけど、エンディングの映像に中之島・梅田の映像を映してくれるから。これはチャンネル選択の条件としては大きいのです。

夕方6:15あたりからの近畿のローカルニュースはNHKが「ニューステラス」、毎日テレビが「VOICE」、朝日放送テレビが「ゆう」、関西テレビが「アンカー」、読売テレビが「スクランブル」などどなっています。各局ともに力が入っているようです。仕事を終えて食事しながら、くつろぎながら見るのはニュースがよいようで、この点でも在阪局の狙いはピッタリの感じがします。

本日2/25のVOiCEのエンディング映像を2枚入れておきます。
ハービスENTの屋根のドアップから引いて、梅田・中之島全体の映像になりました。今日も素晴らしい夜景を見せてくれました。これは大阪大林ビルのカメラからだと思います。
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もう1枚は今日のNHK「ニューステラス関西」・・・
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映像は例によって梅田の歩道橋、それに難波から北向き御堂筋の映像でした。朝日放送、関西テレビ、読売テレビのエンディングは見てないのでよく知りません。

◆ところで本日の大阪の日の出は6:33 日の入り17:50 です。
皆さん、気にしてるようであまり知られてないのが、こんな自然現象ではないでしょうか。
エンディング映像も季節とともに変ってきます。夏至のころともなると夜景ではなくまだ昼間であったりしますし、日没時刻も大阪と東京では20分くらいの差はあると思います。同じ時刻でも東京は真っ暗でも大阪は明るいとか。

今ごろは一日に2~3分程度昼間が長くなっていきます。それで日没時刻も一日に1分程度遅くなっていきます。ところが冬至・夏至のころは変化が少ないのです。2週間くらいはほとんど変化しないです。しかも日没が最も早くなるのは冬至よりも半月ほど前になります。大阪の場合12/5頃です。経度だけでなく緯度によっても違います。・・・『冬至10日経ったらアホでも判る』ってこと言いますが、実際には冬至ですでに日没が遅くなりつつあるのですね。
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◆もうひとつ、この写真は生駒山から大阪都心方面の日没です。そこで皆さんに問題です。
月や太陽が昇るときとか、沈むときは大きく見えますよね。ところがこれは実際には同じ大きさのようです。五円玉を指にかざして見てみると、どのような場合も穴にちょうどの同じ大きさだそうです。
では、日没とかはなぜ大きく見えるのか。「目の錯覚」とか「山や地平線と比較して大きく見える」というのも答えでしょうね。
実際は権威ある天文台でもなぜ大きく見えるのか解っていないそうです。私は私なりの答えを持っていますけど・・・
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by osaka-salon2 | 2009-02-25 20:38 | エッセイ

『都市と高層ビルの話をしよう:4』

◆前回、オフィスビルは都心指向が強いと書いたが、それ以上に指向性の強い業種にマスコミがある。新聞社、テレビ局などの報道に機動力が必要とされていたり、以前は新聞輸送の多くが大阪駅からの列車に依存していた。貨物ならばJR貨物の梅田駅になるが、新聞の場合は長距離の旅客列車に連結された荷物車で輸送されていたのである。これは大阪駅発着となる。

で、新聞各社は大阪駅から近い場所に立地したというわけ。距離にして朝日新聞大阪本社は中之島で900m。毎日新聞は西梅田で500m。読売新聞は扇町に近い野崎町で1000m程度。産経新聞も以前は西梅田・桜橋のブリーゼタワーの場所にあったが、ブリーゼタワー建設のためJR難波駅南側のルネッサ難波地区に移転した。これで何も支障がないのだろう。だったら産経新聞の行き方が正解になるが、どちらかといえば産経さんは正統派とはいえないようで、アッと驚くような常識破りを簡単にやっちゃう。
まぁ、現代においては格式のうえで一等地に社局をおいてると言った方が正しい。その一等地がどちらかといえば梅田・中之島に近い場所なのである。まず本町より南はあり得ない。(産経さんは例外)

テレビ局はNHK以外を見ると、毎日放送が梅田茶屋町、朝日放送が福島1丁目ほたるまち、関西テレビは扇町、読売テレビは京橋OBPといったところ。これも全般にかなり北寄りになっている。この原則は企業本社を見ても同様であり、一流企業ほど中之島・堂島から淀屋橋あたりであり、本町から心斎橋方面へと南下すると企業規模が小粒になる傾向がある。
こうした大阪の街の構造は大阪人ならばおよそ分かっているのであるが、他の地方の人たちはまったく分かっていない。たとえ大阪に仕事で来ても、あるいは観光で来ることがあってもそれは理解の外である。以前にも書いたが大阪のビジネス街は船場を中心としている。船場は北浜から長堀通りまでであって、したがって長堀通りから難波寄りになるとオフィス街としては極めて弱くなる。
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◆もうひとつ、大阪の街が誤解されるのは、「電車の車窓から都心部がまったく見ることができない」という事実がある。なかでもJR大阪環状線は誤解の最たるものである。とくに大阪-京橋-鶴橋-天王寺の東側は利用客が多くていつも混雑しているのであるが、景観的には最悪の部類になる。都心に触れるのは梅田の一点だけで、あとは都心をかすりもしない。

e0161853_1372254.jpgとくに森ノ宮-天王寺間は場末感の漂う高架線である。ここから都心の西側の風景はある意味で大阪の不幸ですらある。本来は見えるはずの都心のダイナミックな景観が一切見えないのである。それは大阪城から天王寺に続く上町台地が視界をさえぎっている。
大阪環状線の森ノ宮-寺田町間の高架線から見る大阪市街は延々と低い家並が続く景観である。これは都心部の四つ橋筋・御堂筋・堺筋までが平坦であるが、松屋町筋から東はかなりの上り勾配になる。これが上町台地で、南北に続いているが東西には谷町筋・上町筋あたりが最も高くなり、さらに東に行くと海から遠くなるが逆に低くなっている。古代の河内湖は今も河内低地の下町が東大阪まで延々と続いているのである。つまり大阪環状線と御堂筋方面と間には南北に続く山が立ちはだかって、JRの電車から都心を見ることができないのである。
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それは寺田町から天王寺に至る地形を見るとよく分かる。高架の寺田町駅から300mも行けば地平になり天王寺駅では掘割の地下ホームになってしまう。さらに行くと再び高架の新今宮となるのである。大阪環状線のうち城東線と呼ばれた天王寺-玉造-大阪間の開通は明治年間にさかのぼる。昭和8年には電車化されている。沿線の低層密集地域はおそらく明治から大正時代にかけて形成されたのであろう。e0161853_1383813.jpg
電車自体は乗客も多く、JR西日本の中で最も稼ぐ優良路線である。よく東京の山手線と比較されるが、そのような事情からかなり性格の違う路線である。山手線の西側は品川・渋谷・新宿・池袋の副都心をつなぎ、一方の品川・新橋・東京・秋葉原・上野・日暮里は都心貫通線である。大阪環状線はどちらかと言えば、JR・私鉄の放射線を結ぶ短絡・乗換え路線になっている。では「大阪環状線はどうあるべきか」それは次回にでも書きたい。

◆写真1:JR環状線オレンジ201系電車 京橋で
写真2:大阪環状線の車窓から見える唯一のビル街、京橋OBP 京橋-大阪城公園間
写真3:京橋に隣接するOBP、ホテルモントレラスールや読売テレビが見える
写真4:京橋OBPに隣接して大阪城ホールがある。イベントがあると人出も多い。
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by osaka-salon2 | 2009-02-11 13:31 | エッセイ

『都市と高層ビルの話をしよう:3』

『大阪とは何か?』
◆大阪人はようやく自信を回復してきたように見える。その原動力は高層ビルの増加による景観の劇的変化である。梅田・中之島の高層ビルがつながれば世界的な摩天楼都市となるはずである。今後も「中之島フェスティバルタワー」もあれば「中央郵便局」もあり、何より「梅田北ヤード」の本命が控えている。
「近鉄阿部野橋ターミナルビル」もいよいよ解体工事にかかる。ひと口に300mといっても前回のNY・ワールドトレードセンターの415mツインタワーの光景・・・。周りのビル群の三倍はあろうかという抜き出た高さの約四分の三になるのが近鉄阿部野橋の300mビルである。かりにニューヨーク・ロアーマンハッタンに近鉄ビルを持ってくれば、WTCなき現在、どえらい高さになる。新WTC「フリーダムタワー」も実際に建ってみればツインタワーには及ばない気がする。ドバイとか、台北101とか、世界一を更新しているのは分かるけども、やっぱり高さだけではないのである。近鉄の社長だかの会見では「平成の通天閣を建てたい」と言っていたけど、偏見のない大阪人の自信発言なのかもしれない。
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◆近鉄は勝負に出たことは確かである。梅田・難波への劣勢を認めつつ規模で勝負するしか道はなかったのであろう。天王寺というのは淀屋橋・北浜や心斎橋と比較すると田舎に見えるのである。「阿倍野なんて空気のうまい田舎ですよ」とは賃貸オフィスの不動産屋の声であったりする。オフィス立地は極めて都心指向が強いのである。「規模の勝負」はいくら大きくても単独では苦しい。阿倍野再開発の「イトーヨーカドー」や「東急ハンズ」出店ショッピングモールも着工されたが、田舎郊外型のモールが阿倍野でどうなるか判らない。JR天王寺駅の建替えなどの援護があれば相乗効果で近鉄阿部野橋300mビルも生きてくる。世はまさに地域間競争に突入しているのである。
「天王寺は田舎ですよ」はオフィス街としての意味であって、天王寺が比較すべき相手は梅田・難波・心斎橋である。一般的な感想では天王寺も十分都会である。いわば大阪人の屈折した大阪自慢が「天王寺は田舎」となる。奈良県や和歌山県人は天王寺を大都会と思っているのである。オシャレに着飾って出かける街は「心斎橋」が筆頭であろう。「梅田」もデパートや劇場・映画館などの集積、あるいは西梅田の展開によってオシャレな街へ変貌している。「難波」「天王寺」が頑張らないと梅田一極集中に歯止めがかからない。
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◆さて、立地がものをいう商業地であるが、大阪の地域構造によって都心業務地区もかなり限定的に展開している。本来の北限は「堂島」であったが、「梅田」に隣接していたことでつながった。梅田の東側の天満・南森町も業務地区である。大阪の中核的な業務地区は中之島から南側、淀屋橋・北浜・本町のいわゆる北船場である。本町通り・中央大通りから南は問屋街の色彩が強かったが、郊外移転などがあって、オフィス街への転換が進行している。ここから長堀通りまでが船場の範疇に入る。
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◆江戸時代の大阪の市街は「船場」「島之内」「西船場」「天満」が市街地だった。この地域がほぼ現在も業務地区としてのオフィス街になる。長堀通りから南は道頓堀まで「島之内」になる。島之内は歓楽街の性格が強い。よく船場が大阪の中心といわれるが、その通りではあるが、むしろ狭い大阪では船場=大阪の感じになる。船場の東西の境界は「東横堀川」と「西横堀川」で、西横堀は埋立てられて現在は「阪神高速環状線」の北行きが通っている。その少し西側には四つ橋筋があるが、ここから西は西船場になる。
もちろん都心業務地区は徐々に拡大しているが、西は「新なにわ筋」から東は「谷町筋」付近までが現状のオフィス街、業務地区といえるのではなかろうか。「新大阪」「江坂」などは飛地の副都心である。江坂は大阪府下、吹田市になるけども大阪のオフィス街になっている。

◆写真:上から「近鉄阿部野橋ターミナルビル完成パース」「淀屋橋付近の住友ビル」「御堂筋と四つ橋筋の2枚」
自宅の改築工事の監理で忙しくて、久し振りの更新でした。住宅の工事は一部の手直しを残して無事終りました。
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by osaka-salon2 | 2009-02-02 22:36 | エッセイ

『都市と高層ビルの話をしよう:2』 

『超高層ビル設計の一考察』
◆日々鉄骨が伸びる「梅田阪急ビル」が迫力を増しているが、今春に着工されるプロジェクトに「中之島フェスティバルタワー・東棟」と「近鉄阿部野橋ターミナル」がある。「中之島フェスティバルタワー」は高さ200mのツインタワー。「近鉄阿部野橋」は高さ約300mで、どちらも大阪最大規模の超高層ビルである。
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◆「中之島フェスティバルタワー」の高さ200mは制限いっぱいのため確定であろう。敷地は地図で確認すると一辺約90mのほぼ正方形で、フェスティバルホールを内蔵する低層部と、上に高層オフィス棟を載せた構造である。発表パースによると、高層棟も正方形ながら四隅のコーナー部と各4面も緩いR曲面となっている。
こうしたデザインの評価はともかく、我々の関心事のひとつに、細身に見えるデザインがある。NY・ワールドトレードセンターのツインタワーは415mという高さもさりながら、正方形のタワーの平面は一辺約63mの太さで、415×63という平面の幅に対して約6.6倍の高さを持つ。シンプルな直方体かつ極めて細身のタワーが特徴であり、この比率と同時にタワーが二つ並んだことによってあの独特のフォルムが生み出された。
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◆前回に触れた「ツイン21」も日建設計の設計になるが、NY・ワールドトレードセンターをかなり意識したようである。それは「3WTC」と呼ばれるビルが、高さを抑えたホテルニューオータニに似ているのである。いわばツインタワーの引き立て役のビルがあったのだが、同じ地区に最高高さの同じビルが増えると、全体の調和は保てるがツインタワーの価値は下がる。これは建築協定や高さ制限があるのでやむを得ないのかもしれない。
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◆では、この「中之島フェスティバルタワー」のタワーの太さはどうなのか。設計図を見ていないので正確な数字は不明であるが、敷地の広さやパース、模型から推測すると、「ワールドトレードセンター」のタワーの太さと近似したものと思われる。つまり200mの高さのタワーをもう一本継ぎ足し400mにして始めて同じような細身のフォルムになる。どうも圧倒的な存在感は出ても、スレンダーなビルにはならないようである。今春から解体工事にかかるので、もう最終の実施設計は終っているかもしれない。設計は組織系最大手の日建設計である。
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◆大阪の超高層ビルを見ると、全般的に極めて細身に見えるのが特徴のようである。実際は太くてもデザインによって細身にしているビルが多い。一本だと太くて威圧感があるのをツインタワーにして細身の二本にしているのもデザイン的技法といえる。
細身に見える代表的なビルに「ハービス大阪」がある。このビルは東西方向から見ると極めて細く見えるが、南北方向からだと太く見える。このビルはよく見ると、東西の正方形のツインタワーを対角線に合体させたデザインなのが分かる。これは細身に見せる執念によってデザインを完成させたのであろう。他にも梅田センタービルの如く、シティタワー西梅田の如く、広い幅の一辺を細く見せる工夫は直方体の集合であったり、四隅の角を直角とせずに雁行させるなどの工夫が見られる。
はたして東京の超高層でこうした細く見える工夫のビルはあるのだろうか。私が東京のビルを知らないだけかもしれないが、ほとんどないようである。むしろ巨大な壁面自慢のビルが多い。一つだけ上げると「東京オペラシティタワー」が細身に見える工夫がみられるビルで、四隅を大きくカットして、四面の直線部分を小さくしているのである。

◆「中之島フェスティバルタワー」は工期4年で平成25年春竣工予定。近鉄「阿部野橋ターミナル」は工期5年平成26年春竣工の予定である。両方共に解体工事と、地下部分に長期を要するので、鉄骨が地上に姿を現すのは2年近くはかかりそうである。
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by osaka-salon2 | 2009-01-27 22:23 | エッセイ

『都市と高層ビルの話をしょう』

◆かつて建築という分野はあっても、それを趣味にする人などは稀なことだった。まして建築の写真を撮影するなどプロか変人くらいのものでしかなかった。それが30年位前から超高層ビルの出現によって今では立派な趣味のようである。超高層の持つシンボル性、神殿効果の賜物であろうか。
さて、私たちが超高層ビルを意識するようになったのはいつの頃からだろうか。日本では「三井霞ヶ関ビル」が最初で1968年の完成である。その後東京に「世界貿易センタービル」と神戸に「神戸商工貿易センタービル」が同じような意匠で完成した。このあたりが黎明期のビルで、すぐに大阪でも「大阪国際ビル」「大阪大林ビル」「中之島センタービル」などの超高層ビルが計画され立ち上がった。
東京新宿副都心で最初の超高層は「京王プラザホテル」であった。地上47階という高さもさることながら、新宿副都心で先陣を切ったので注目された。その後少し間があったようだが、次々と200m越えの超高層が鉄骨を伸ばしていく姿がよくテレビにも映し出された。大阪の人間は指をくわえて見ている他はなかった。
この頃になると、ポスターや雑誌などにニューヨークのビル群が写っている写真を見かけることが多くなった。そこには群を抜く高さの二本の直方体が写っていた。これが噂に聞く「ワールドトレードセンター」であるらしかった。この魅力的なシルエットは一目で分かるシンボリックなもので、ビル無関心派もビル好きに変えてしまうほどであった。同時にアメリカの経済力の象徴にも見えた。
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◆そんなとき1983年の夏だったと思うが、「松下がOBPにツインタワー建てるらしい」と弟が話していた。どこからのニュースなのか聞かなかったが私より知るのは早かった。私も嬉しくなって会社で同僚に話した「松下が38階建てのツインタワー建てるらしいで」と、私はNYのツインタワーが念頭にあったから「あんまり大したことないけど」と付け加えた。そしたら「大したことあらへんことあらへん」とのことだった。同僚は当時からニューヨークもヨーロッパも、あっちこっち海外は以前の職業柄行って知っているらしかった。「NYはあんまり緑はないね」とか、よく話していた人だった。そうこうしていたら新聞発表があり、9/1付けの紙上に計画が報じられた。「ツイン21、9/16起工式」の見出しだった。購買紙は読売新聞だったが、この切抜きは今も保存してある。
この同僚は地方の出身で大阪人ではなかったが、都市やビルについてよく話した。大阪に高層ビルが増えつつあったのも共通の認識だった。「神戸なんか何もあらへん」とも言っておられた。当時の大阪は高層ビルはまだ少なかったが、それでも梅田上空からの空撮写真が読売新聞に掲載されたのを見ると、けっこうな迫力があった。ダイヤモンド地区の上空からの写真で、すでに第一~第四ビルや「マルビル」や「アクティ」「ヒルトン」なども立ち上がって超高層ビル街の風貌はあった。
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◆「ツイン21」はおよそ二年半の工期で1986年の春に竣工した。もちろん私も見物に出かけた。MIDタワーの38階が展望フロアになっていた。とにかく凄い人気でごった返していた。これを見ると普通の人も超高層ファンなのが分かった。振り返って考えると、NYのワールドトレードセンターに重ねたツインタワーへの憧れ、それが大阪に出来た喜びだろうか。それを裏付けるようにその後の大阪は各地でツインタワーの建設が相次いだ。それはニューオータニのタワーのような都島の「ベルパークシティ」から、泉大津の「アルザタワー」、堺の「ベルマージュ」、弁天町の「オーク200」、果ては「りんくうゲートタワービル」もツインタワーで計画された。
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◆ツインタワーブームの流れは「梅田スカイビル」で頂点に達したようだった。クリスタルタワーを大きくして二本並べたような「梅田スカイビル」の出現で、大阪のツインタワー競争に一応の決着が下った。そんな時代があって、どのくらいの時間がたったのだろうか・・・。
ある日の晩、NHKの9時のニュースにワールドトレードセンターのタワーが炎上しているのが映し出されていた。信じられないような光景が鮮明に映されていたが、どうも要領を得ない説明だった。そのうちもう一つのタワーに旅客機が突っ込んでテロと分かった。ほどなくして、まさかのワールドトレードセンターの一本の崩壊が起こった。「うわぁ~~」悲鳴が口から出た。少し倒れるように崩落していった。残る一本も真ん中に突っ込んだので助かりようもなかった。熱さに耐えかねたのか、人が落下していくのも映っていた。目を覆いたくなるシーンだった。二本目は重みに耐えられなくなったようだった。下階を押し潰すように真下に崩落した。こうして憧れのツインタワーは悲惨な終焉を向えた。2001・9・11だった。

写真:1枚目ロアーマンハッタン「ワールドトレードセンター」を望む写真、ポスターからの複写による。2枚目「ツイン21」の竣工当時 3枚目お馴染み「梅田スカイビル」。2枚目3枚目は私の撮影です。
『都市と高層ビルの話をしょう』は連載します。
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by osaka-salon2 | 2009-01-22 22:18 | エッセイ