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カテゴリ:街づくり提言( 5 )

大阪の未来を決する『京橋』の整備・再開発

◆この前、大阪の街が誤解されるのは、「電車の車窓から都心部がまったく見ることができない」ということを書いたがこれは事実。都心部を走る鉄道は地下鉄と一部の私鉄になるがいずれも地中を走っている。地上を走る主たる鉄道はJR大阪環状線である。その森ノ宮-天王寺間の景観は最悪の部類になると書いたのだが、ちょっと悪く言いすぎたようである。最近JR環状線にあまり乗ってないし、外を注意深く見ているわけでもない。いわば20~30年前のイメージで語ったようなので、じっさい電車に乗って見てみることにした。
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じっさい見てみると御堂筋のような整然とした感じはないが、昔の瓦屋根の延々と続く景観はかなり解消されていた。とくに桃谷・鶴橋付近からの景観は激変していたのである。それは上本町付近の上町台地そのものに超高層マンションが林立し、再開発で大きく街並みは変貌していた。イメージだけで語ることの愚かさを悟った次第である。東側は見てなかったが。
で、大阪環状線はどうあるべきか。私の考え方は平成17年に発表したものを、このブログの「街づくり提言」に再録してあるので参照していただくとよい。その南北を逆にした地図をもう一度掲載する。

e0161853_13354696.gif◆大阪の都心南北軸は地下鉄御堂筋線である。新大阪-梅田-淀屋橋-心斎橋-難波-天王寺をつなぐのが御堂筋線である。だれが見ても最強の路線といえる。すべては御堂筋線に通ずの如きである。梅田の阪急などはもちろん京阪・近鉄も以前から淀屋橋と難波に到達していた。大阪の都心軸は御堂筋線に偏り過ぎている。これを都心軸とすれば、別に副都心軸がもう一本ほしい。そこで環状線の東側を整備して京橋を最大の拠点にしたら大阪の都市機能は飛躍的に強化されるのではないか。




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◆天王寺・上本町(鶴橋)-京橋-淡路-新大阪を東部の副都心軸とするのである。その中核が京橋となる。以前に掲示板で京橋の再開発プランを問いかけたことがあった。それには常連で京橋通のOCPさんが地図にプランを描いて、見事なプレゼンテーションを提示してくれたので、そのOCPさん作図のプランをもう一度掲載する。環状線のホームを少し南へずらしたうえで、大規模な15階建ての駅ビルをホ-ム上に建設する。天王寺MIOを大きくしたイメージである。西側のダイエーの敷地も建替え再開発として、25階建ての店舗・ホテルからなるビルとオフィスビルの二棟を新築する。高さは100mと130mである。寝屋川の両岸は遊歩道を整備して桜を植樹する。
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◆OCPさんのプランはそんなイメージであった。先日、京橋を見て回ったのだが、京阪京橋駅を含めて北側はかなりよくなっている。コムズガーデンには地下鉄京橋駅もあり、周辺のオフィスビルや各種の施設が入り乱れて、十分なポテンシャルがありそうである。いわばJR駅の付近だけが悪いのである。東側一帯の環境はよくないけれども、再開発という機会にでも整備できたらと思う。
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京橋という駅名ははるか遠くの天満橋寄りの日経新聞社横の橋の名前からきているそうだ。そして現在の京橋といえば駅付近の通称地名になってしまった。この雑然とした繁華街だけが京橋では具合が悪い。新宿といえば副都心・高層ビル街がイメージされるように、京橋もOBPがイメージされるような戦略が必要なのである。大阪の最大の間違いは「名を捨てて実を取ること」、逆に「実を捨てても名を取ること」が大阪には必要と痛感する。
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◆私の提言では東京に対応させれば京橋が新宿であり、現環状線の大阪-京橋間は環状線の内側を貫通する中央線であり、JR東西線はメトロ東西線と考える。新大阪は品川と考える。そう新宿-品川間に相当する路線は大阪では未成線だったのである。これはこれから造る外環状線の北部である。新大阪から梅田北ヤード新駅に延長が発表されたそれである。
私鉄はともかく、JRに関しては関東・東京の路線は完璧なまでに整備されている。この路線網をお手本にしない手はない。大阪の欠点はあまり東京を真似ないことである。「東京にあるものは大阪にいらん」じゃなくて「東京にあるものは全部大阪にも造る」としたい。東西二大都市、東西二眼レフ論としたい。東京の貪欲なまでの発展は大阪を意識し、出し抜くことが原動力になったようである。
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by osaka-salon2 | 2009-02-16 13:01 | 街づくり提言

【再録版】」水と虹のファンタジー&大阪をどうつくるか?(その7)

e0161853_2134279.jpg【水と虹のファンタジー】

▼水の都大阪のモニュメントとなるような美の造形がほしい。

そこで都心のど真ん中の土佐堀川に、巨大噴水をつくってはどうかと思う。
かなりインパクトがあるのではないか。
だれもが噴水を見ると感動する。動きのある水にカクテルライトでも当てれば、見事な水と光の芸術となる。

おそらく見るものに深い感動を与えずにはおかないだろう。美に勝るものはない。美に対しては誰も頭を下げるしかない。

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夢のあるプランではないか。きっと観光名所になるに違いない。

「道頓堀や新世界が大阪らしい」などといつから決めつけたのか。
それを大阪らしいなどというのならば、「大阪らしさ」など、さっさと払い下げにしたらどうだろう。

写真は淀屋橋から土佐堀川越しに望む中之島の夕暮れである。イメージを出すために水面に噴水の画像を入れてみた。
(大阪をどうつくるかの続きはあとにします)
(平成17年10月21日作成)
※その後、中之島剣先に噴水計画が実現することになりました。08年12月現在、中之島公園東部は工事にかかっており、アーチを描く大噴水が来年お目見えする予定になっています。
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e0161853_21493954.gif【大阪をどうつくるか?(その7)】
大阪をどうつくるか。私は多軸多核型の都市にするのを一つの目標にすべきと思っている。大阪市の基本計画などを見ても、この点で極めて不十分である。
ここ10~20年の動きで見ると、現状追認のように御堂筋の上に南北軸があり、ようやく20年くらい前から東西軸が意識されるようになり、東のOBPから南港コスモスクエアへの軸がつくられるようになった。
従来の南北軸だけの都市構造にくらべて、いくぶん前進したが、南北と東西の十字だけでは多核型にはならない。
南北軸と東西軸をそれぞれ複数にする必要があると思う。そこで拡大された環状線の東側の部分、天王寺・京橋・淡路・吹田を結ぶ線を東の南北軸として、二本の南北軸とする。
それぞれの核となる街が有機的に結ばれ、回遊性を持つことによって都市は活性化する。

この問題を考えると、どうしても大都市制度の問題に突き当たる。
指定都市制度のもとでの多核型の都市構造には限界がある。将来の大阪、あるいは日本のためには、どうしても東京特別区のような都市内部を分割した自治区制度が必要である。いわゆる府市合併で、それを大阪都構想というのであればそれも結構だろう。
区レベルで各々が頭脳を持つことで、その集合体としての大阪がよくなる。行政区制度のもとでは都市内での狭域的自治が極めて不十分である。

いよいよ05年4月には堺市が指定市に移行する。バランスのうえでも大阪の中枢を担う大阪市が指定市では具合が悪いだろう。
(平成17年10月23日作成)
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by osaka-salon2 | 2008-12-04 22:05 | 街づくり提言

【再録版】大阪をどうつくるか?〔その5~〕

e0161853_10265028.jpg【その5】「環状線に新大阪を取り込む」このプランがなぜ必要なのか? その理由は環状線の成立に深くかかわってくる。

まず、1889年関西線が開通後、天王寺と梅田を結ぶ環状線の東側、城東線が建設された。その後、近鉄阿部野橋や阪和線もできて天王寺ターミナルが成立する。
これらの路線と長距離幹線駅の大阪駅を結ぶ目的で環状線の東側部分、天王寺-玉造-大阪間が建設されたのである。

しかし、新大阪駅ができたとき、地下鉄だけは新大阪まで延びてきたものの、肝心の国鉄線は、東海道線に乗り換えの在来線ホームがつくられただけで、大阪の市街地の天王寺・京橋と結ばれるはずの、環状線はつくられなかったのである。

これは片手落ちというものであろう。いまから考えれば、新大阪駅の位置をのむ条件として、新大阪を結ぶ環状線の建設を国鉄に要求すればよかったのである。そういう政治力というのも時には必要である。

この事情は東京も同様で、上野と新橋の間が結ばれておらず、東北線と東海道線・新橋駅を結ぶ目的で山手線・赤羽-品川間がつくられた。(本来の山手線は赤羽-新宿-品川で、池袋-田端間あとから追加された)

この拡大された環状線が完成したとき、大阪はどうなっているか?
都心が淀川の北側にも拡大し、およそ2倍近くの都心面積となる。そのころには梅田北ヤードも完成し、梅田の力量はさらに大きなものになっているだろう。

新大阪へのアクセスも飛躍的に向上して、京橋・鶴橋や天王寺・弁天町などからもダイレクトに行ける。これで本当の意味で梅田の北に都心が拡大することになる。

大阪の都市規模は東京のおよそ半分、しかも東京の東半分などと揶揄する声もある。一面では事実であるけれど、この拡大環状線によって、大阪の都心面積が広がり、大阪の力量は東京の8割くらいまでパワーアップする条件ができることになる。
(平成17年10月4日作成)
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e0161853_10274485.gif【その6】いまもときどき京阪、とくに大阪を指して「上方」という言い方がある。
東京から見て、上り下りが逆転していた近世の名残りのようである。近畿地方の産物は江戸では下り物として重宝がられたそうで、「下らない」がつまらない物の語源だそうである。

ともかく大阪は多様な文化を生み育んだ都市である。民の都の花を咲かせた大阪であったが、どこかで間違いが生じたのであろうか。いつしか地盤沈下だのという有難からぬイメージになった。せめてプライドだけは持ってほしいと願うのだが・・・
ここであまり関係ない愚痴はともかく、本題を続ける。

私だけの持論なのだが、大阪の都市構造なり、鉄道網の発達史などをよく研究してみると、じつは大阪と東京は非常によく似ているのである。他の日本のどの都市も大阪と全く違うのだが、東京だけはそっくりなのである。あんまり東京なんぞと似てほしくないのだが、まるで兄弟と思えるほどである。

細微な違いは、大阪が政府の援護がなかったことなどの理由によるのであろう。東京はその点で完璧なまでの鉄道網を備えるに至っている。大阪は東京を見て、足りない点はむしろお手本にすべきであろう。


e0161853_10375136.gif〔その4〕に載せた大阪環状線の拡大構想の地図を南北逆にして、同じ縮尺の東京の地図とを2枚載せて見る。
こうして並べると、拡大環状線の構想も京橋-新大阪間は東京の新宿-品川間に当たり、間違って大阪では実現していない部分だったのである。

大まかに言って、大阪駅に東京駅を重ねると、新大阪は品川、京橋は新宿、天王寺は池袋、難波は上野にちゃんと対応しているのが分かる。

天王寺はよく上野に似ていると言われている。天王寺公園に上野公園、新世界に浅草、通天閣に相当する稜雲閣というのもあったそうだ。しかし鉄道発達史からは、JR難波が上野である。
これも細微な違いの一つで、大阪では、上野の機能が天王寺と難波に分散されたのであろう。本来ならばJR難波から大阪駅までの市街を貫通して結ばれるはずであったが、大阪環状線は今宮-西九条間を結ぶかたちで都心部を迂回してしまったのである。

JR難波-大阪間の計画は実際にあったのだが、これは現在では「なにわ筋線」に継承されている。

鉄道網の形成過程は東京もほぼ同様であるものの、品川-新橋(烏森)-東京-上野間の高架線は、東京駅建設という国策的な強力な計画もあって、順次つながっていったのであるが、鉄道ターミナルは市街地につくれないという原則が東京駅だけは例外になっている。
そのへんの事情は山手線の歴史でも説明されているので参照されたい。

京橋-大阪間はいまは環状線になっているが、本来は新宿-東京間の中央線に相当する。南北に長い環状線を東西に貫通し短絡する路線だったのである。そして京橋から先は学研都市線につながる。大阪-京橋-四条畷-木津間の学研都市線は中央線だったのである。
(平成17年10月10日作成)
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by osaka-salon2 | 2008-11-29 10:43 | 街づくり提言

【再録版】大阪をどうつくるか?〔その3~〕

e0161853_23341649.jpg【その3】■新幹線梅田乗り入れの可能性
一般的な議論にはなっていないが、一部の人たちの間に新幹線の梅田延長を望む声がある。大阪の街の発展の為にはいまの新大阪ではダメだという。
わたしはその意見を読んで、少し意外な感じを持った。梅田に新幹線の駅があればよいに決まっている。しかし、東京中心の国土計画からすると、実現の可能性が極めて小さいように思えたのである。
このような発想なり意見があるのは、なぜだろうか。思い直してみることにした。

新大阪の街の評価はあまり芳しくない。その最大の要因は新大阪が都心に認識されないことにある。街外れの街のイメージを拭いきれない。
わたしなりに検討した結果、他の都市の理解も得られる方法で可能なことが分かった。路線のルートと運転系統も、無理のないかたちでできる。

あとはやる気の問題だけである。大阪の行政なり財界がその気になれば十分実現可能である。
東京駅の新幹線はホームが並列しているものの、東海道と東北は分断されている。そして東海道方に品川駅、東北方に上野駅を持つ。スルー方式の新大阪駅と、新たに梅田に終端形の駅を設ける。東京とのバランスを考えてもそう無理なことではないと思う。

新幹線を計画する段階で、最初から大阪駅に新幹線が乗入れていたら、梅田は凄い街になっていたに違いない。反面、いまの新大阪はどうなっていたかを考えると、これでよかったともいえる。
すでに新大阪という街ができ上がったあとだから、両方の街にプラスとなる梅田乗入れ線を別に延長して「新大阪駅」と「大阪駅」の二つの新幹線駅をつくるのがベストである。
(平成17年9月29日作成)
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e0161853_23405328.gif【その4】新幹線の梅田乗り入れについては、私なりに実現への手法というか案を持っているが、それは後回しにして、私としてはそれよりも重要と考えていることを先に書く。

まず大阪の都心機能の北への重心移動が必要な理由である。新幹線や高速道路ができるまでは、鉄道も道路も梅田を経由していた。ところが新大阪駅ができたり、名神・中国自動車道などが開通してからは国土軸の考え方が重要になってきた。

いまでは大阪の街のはるか北側に国土軸があると考えられている。これでは大阪をスルーどころかパス状態である。東京以外の都市はすべてパスできるように考えられたのが日本の高速道路網なのだ。逆に新幹線も高速道路も「東京だけはパスできないようになっている」のだからあきれる。
街の外れに国土軸があってパスされるのであれば、大阪の街を国土軸の上に移動させる他はない。

それと、いろんな都市の例を見ると、古いしがらみの市街地に重層的に街をつくるよりも、新しい市街地をつくる方が、はるかに効率的に立派なものがつくれる。東京がいまの規模になり得た理由もそこにある。

もう一つは、新幹線の梅田乗り入れが実現するしないにかかわらず、新大阪をJR環状線の輪の中に入れる必要がある。新大阪が街外れのイメージが拭えないのは、環状線の中にないからだ。都心という概念は環状鉄道によって認識される。新大阪を都心と呼ぶにはこれに尽きる。
新大阪をどうしてJR環状線に取り込むか? いまの環状線を広げるしか方法はない。
さいわい、大阪外環状線計画の北区間が未着工なので、一部ルートの変更をして、京橋駅につなげる。

運転系統としては現在の環状線・大阪-京橋間は学研都市線に接続し、京橋駅はできればホーム2面方向別4線の配置にする。大阪外環状線の南区間の放出-加美間は工事中であるが、そのままJR東西線につなげてJR宝塚線・神戸線系統とする。

いまの城東貨物線が野江方向から京橋駅につなげるのは、敷地や勾配の条件から難しいかもしれない。(もともと廃止された線路敷地があるのだが)

京橋駅の方向別2面4線化が無理な場合は、別にホームを設けて、地図に書いたように森ノ宮近くまで並行し、いまの大阪城公園駅を方向別2面4線にする。その場合、環状線東側の広大なJRや地下鉄の電車基地、それに清掃工場などの低利用地をすべて廃して、OBPをはるかに上回る副都心の建設が可能となる。

環状線の系統は天王寺・鶴橋方面から、京橋でそのまま淡路・新大阪へと行ける。新大阪-大阪間は複線の増設が必要である。中間の豊崎付近には駅を新設し、環状線とJR京都線の両方にホ-ムをつくりたい。
大阪から先は現在の環状線につなげて西九条-新今宮-天王寺とするのがよい。北ヤードの地下に設けられる予定の駅は「なにわ筋線」として、新大阪-JR難波・南海汐見橋間をつなぐのがよいだろう。
(平成17年10月1日作成)
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by osaka-salon2 | 2008-11-26 23:41 | 街づくり提言

【再録版】大阪をどうつくるか?〔その1~〕

e0161853_1243166.jpg【その1】
鉄道の駅は街をつくるといわれる。
大阪駅ができて今の梅田があり、新幹線ができて今の新大阪がある。江戸時代の大阪の市街地は「船場」を中心に展開していた。大阪三郷とも呼ばれるが、周辺を加えても「西船場」「島之内」「天満」あたりまでが当時の大阪の街の範囲である。

じつは鉄道のターミナル駅は市街地に入れないのである。駅や線路をつくるには広い面積を必要とするので、市街地中心に駅を設けることができなかった。至極当り前の話である。
市街地に入れるようになったのは地下トンネルを掘る技術が容易になった最近のことである。それでも大規模な駅はつくりにくい。だからターミナル駅は市街地外縁に設けられた。

大阪駅だけでなく、「阪急梅田」「京阪天満橋」「近鉄上本町」「南海難波」「阪和天王寺」など、それぞれの駅の立地はその時代の大阪の街の大きさを示している。
最も新しい阪和線(昭和4年の開通当時は私鉄の阪和電鉄)の天王寺駅は市街地の一番外側にあるのもそんな理由からである。

大阪駅が開業した明治初頭、大阪の市街地は堂島までだったと考えて間違いなさそうである。他の都市の中心駅もほぼ似かよった理由で旧来の市街地から外れている。
そんなことを考えると、大阪駅ができた当時、梅田は田んぼだったとよく不思議そうに書かれてあったりするが、当り前のことだったのだ。昭和39年開業の新大阪駅の位置にしても妥当性がありそうな気がする。(山陽方面への延長が有利なのは小学生でも分かる)

しかし東海道新幹線は東海道線の線増の意味あいもあって、在来線に沿うようにすれば大阪駅につくることも難しいことではなかった。便利さと広域からの利益の取り込みは大阪駅の方が格段に優っていただろう。しかし、北部への重心移動も必要と考えているので、大阪にとってどっちがよかったは判定できない。
大事なのは総合的なビジョンである。鉄道交通において大阪市は市営地下鉄に力を傾注するあまり、一企業、一私鉄と同様の思想を持って、市域内において権利を振りかざしたのである。

大阪市域が狭いことも災いして、これが大阪の発展にマイナスに作用した。大阪市の思想は市域内を念頭におかれた結果、広域的な見方ができなかったのである。
結果として、他の鉄道事業者との協調歩調がとれず、相互乗り入れの路線が極めて少ないものとなった。

ようやく阪神西大阪線・西九条-難波間や、京阪・中之島新線の工事が施工されるに至ったのは喜ばしい限りである。阪神西大阪線の如く、わずか数キロの路線でも両端で既設線と結ばれることによって、計り知れない効果がある。
(平成17年9月25日作成)
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◆HPからの【再録版】について:
HPの更新ができない状態が続いて、申し訳なく思っています。
まだブログの扱いの習得が不十分ですが、記事の保存もあって重要な項目をブログに再録していくことにします。

e0161853_168465.jpg【その2】
いつの頃からか、大阪の重心は北へ移動してきた。
かつて梅田が北限だった大阪の街が徐々に北へ移動し、いつのまにか梅田以北に重要な街がいくつも出来上がっていた。「新大阪」「江坂」「千里中央」がとくに重要だろう。新御堂筋沿いの、それより北の箕面にも「箕面船場」なる街もある。どれもちゃちな街ではない。
箕面船場(コムアートヒルとかの名前)なども、北摂箕面の山の手前に突如としてビル街が出現するのは驚きである。

最近は都心回帰の時代になって多少元気がないが、これらの街は昭和40年、50年代にすごい勢いで増殖していった。
昭和30年代の初頭、日本最初の大規模ニュータウン「千里NT」が造成された。この頃の大阪の行政は何を考えて大阪の街づくりをしていたのであろう。
北への移動は、この千里NTと新大阪駅の位置で決定的となった。大阪の街の北限だった梅田の北には800m近い幅を持つ淀川が横たわっている。ある意味では邪魔な存在である。

当時の大阪の行政は、この淀川の北に新しい大阪をつくろうと考えたのではないか。
当時の大阪は狭い都心に、都市機能がひしめき混雑を極めていた。道路の渋滞も現在の比ではなかった。そして問屋街、流通機能の郊外移転が図られた。「新大阪センイシティー」「箕面船場」もこの流れで計画移転した施設である。

そして昭和45年、大阪万博が開催された。人類の進歩と調和のテーマのもと、経済成長の集大成がそこにあった。千里丘陵は沸きに沸いた。地下鉄御堂筋線も千里万博会場まで延長されていた。
さて、淀川の北の北摂の開発は何だったのか。大阪の街は南北に長く楕円形をしていると考えられる。大阪府も南北に長く街の形態に対応している。

白い長方形の紙、A4用紙でも想定してみよう。この紙を縦にして半分に折ると真ん中に折り目が付く。折り目は横たわる淀川である。そして下半分が旧来の市街地で、すでに出来上がっている。残るは上半分に新しい街をつくることになった。
新市街のデザインは? A4の紙の下半分に南北に御堂筋線を描き、そこに旧都心の街を描く。「梅田」「心斎橋」「難波」と・・・インクが乾かないうちに、もう一度折り目で折ってみる。紙を開くと、上半分のところにインクの印が残る。
それが「新大阪」「江坂」「千里中央」ではないか。私は北摂の街をそのように考えたのである。
梅田から真北に向けて直線的に鉄道と道路が敷かれた。単なるインフラではない。大阪の都市機能の一部を担う重要なインフラである。

まず、大阪駅に対して「新大阪駅」これは当り前。道路は旧市街の御堂筋に対して「新御堂筋」と名付けられた。このネーミングこそ新しい大阪の街づくりを象徴的に現している。
そう、淀川の北に「もう一つの大阪を相似形につくろう」。行政がそう考えたかは分からないが、私はそう考えた。

ここで行政というのは大阪府のことである。江坂も千里も箕面も大阪市域外のことだから大阪府の仕事である。とにかく当時の大阪府は街づくりに対して馬力があった。
(平成17年9月26日作成)
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by osaka-salon2 | 2008-11-24 13:22 | 街づくり提言