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大阪情報サロン

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カテゴリ:古めの写真( 4 )

【鉄道近代化前】福知山線沿線風景

▼今はJR宝塚線と呼ばれる福知山線も、1970年代までは通勤路線とは言えない近代化から取り残された鉄道でした。1979年撮影の写真です。
当時は国鉄時代ですが、尼崎-宝塚間の電化工事に着手する頃でした。
写真は川西池田駅
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▼同じ川西池田駅を列車から撮影
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▼これは宝塚駅に進入する下り特急「まつかぜ」、右は交換の気動車急行です。
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▼宝塚-生瀬間、生瀬鉄橋を走行中の列車の車窓から撮影
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▼これは生瀬駅で、対岸の山の斜面は住宅地の開発が本格化する前です。
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▼これは武田尾駅での交換です。
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▼同じ武田尾駅で、生瀬-道場間はほとんどトンネルのルートに付け替えられて最も変化した区間です。
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◆福知山線は1970年代後半から近代化が進められました。1981年に尼崎-宝塚間が電化開業しました。でも電化後も利用客はほとんど増えませんでした。宝塚までの電化と同時にカナリヤ色103系6両編成による普通電車が大阪-宝塚間で運転を開始したのですが、鉄道雑誌に「カナリヤ鳴かず」の皮肉を言われる始末でした。
当時の103系普通電車は毎時1本しかなく、そのうえ電車は宝塚までで三田方面へは気動車か客車での運転だったので、三田から大阪へ向かう客も宝塚で阪急に乗り換えてしまうことが多かったのです。
◆福知山線にとって劇的な変化は、1986年に宝塚-新三田間の複線化、福知山までの全線電化(電化は山陰本線城崎駅まで)が完成してからです。それまでの山間部を武庫川に沿って走るルートから、生瀬-道場間をトンネルの複線に切り替えたのです。同時に西宮名塩駅を新設し、三田-広野間には北摂三田ニュータウンの玄関として新三田駅も開業しました。

【蛇足】古めの写真を少しづつ掲載していますが、なぜモノクロ写真なのか疑問に思うむきもあるかもしれません。1980年頃の事情は一般的にはカラー写真が普及していて、ネガカラー・プリントが普通でした。
ですが、鉄ちゃんの多くはモノクロを主体に、カラーはリバーサル(ポジ・スライドフィルムとも言う)を使用する人が多かったのです。フィルムにもこだわりがありリバーサル・カラーフィルムはコダクローム(現在日本で発売中止)限定の人は多いようでした。
同じコダックのリバーサルでも、エクタクロームと違って、コダクロームは日本で現像所が一ヶ所しかなくて、現像に一ヶ月かかるフィルムだったのです。
それでもコダクロームを使うのはなぜか、私もそのひとりでしたが、単にへそ曲がりだけではない理由とは何でしょう(笑)。。答えは別の機会にでも。
今はデジカメになって、ほんとにラクです。
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by osaka-salon2 | 2008-12-02 12:54 | 古めの写真

30年前:福島区鷺洲からの景観・・・

もう少し古めの写真を続けます。
昭和54(1979)年の福島区鷺洲から、大阪の景観はどんな感じなのか?

▼先日の写真はかなりの望遠レンズですが、標準レンズに交換して撮影したのがこの写真。
まさしく平べったい街並みが続いておりました。
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▼これは夜景写真と似た構図です。かろうじて梅田が視野に入っています。第三ビルが建っているのがわかります。撮影目的は手前のDD51の牽く福知山線普通列車でした。
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▼もう一枚は反対側の淀川の右岸・北部って、「電車でしょ」わかります。現在と変らないようでも10階建て程度のマンションが激増していますので、景観が全然今と違いますけどね。
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◆今回はこのへんにしときます。
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by osaka-salon2 | 2008-11-28 14:52 | 古めの写真

【鉄道写真】複々線の並走-塚本【懐古】

古い鉄道写真が出てきたので、スキャンしてみました。

▼塚本のホームから大阪方、撮影は昭和54(1979)年7月21日、時刻は17:00丁度
左からDD51牽引上り福知山線客車列車、上り153系新快速、下り103系緩行、下り気動車急行みまさか5号・但馬7号、とくにDD51の客列車の全力疾走が迫力!
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▼別の日に同じ17:00に塚本で撮影したもの。この日は下り緩行電車が遅れていた。
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◆いささか趣味的な写真で、興味のない方には退屈かもしれません。鉄ちゃんはこんな写真を撮影して喜んでいました。私も鉄のハシクレでした。
この写真を見ても分かりますが、塚本の大阪方はすぐに下淀川橋梁です。大阪までひと駅です。現在はJR神戸線ですが、大阪-塚本間には駅がないのですね。
同様に新大阪-大阪間にも駅はありませんが、この間にたとえひと駅でも駅をつくるべきです。
なぜか、何千億円の事業費で地下鉄つくるより、少ない工事費で地下鉄つくったと同じ効果があります。費用対効果が抜群ですね。
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by osaka-salon2 | 2008-11-27 10:05 | 古めの写真

【モノクローム】ちょっと古めの写真から

古めの白黒写真がでてきましたので、スキャンしてみました。
撮影はすべて昭和53(1978)年です。

▼現在の大阪駅南口の駅ビル、「アクティー大阪」ができる前の大阪駅本屋です。アクティー大阪の工事が始まる前に、準備工事として大阪駅北ビルを建設しています。北ビルに駅施設を収容してから、この駅舎を取り壊して「アクティー大阪」の建設工事にかかったわけです。本屋(ほんや)とは駅の主要な建物の意味で、主に表側の建物。国鉄時代からの部内用語。
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▼この写真はアップですから、このあたりは現在とあまり変化がないですね。ですが梅田の超高層ビルは「阪急ブランドビル」「大阪マルビル」しかなかったはずです。
大阪タワーからの撮影になります。
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▼この写真は淀川近くのマンションからの撮影で、国鉄の153系新快速を狙ったものです。
超高層は堂島のNTTデータビル、これは意外に古いのですね。右の超高層は大阪国際ビル、淀屋橋方面に頭を出しているのは日商岩井ビルです。
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◆蛇足をいえば、30年ちょっと前の大阪って、ビルが少なくて平べったいですね。
大阪タワーからの写真は梅田全体を写したのもあるんですが、今日でてきた中にありませんでした。探してみるべきかな~、なんて考えております。
まだありますので、面白い写真はぼちぼちアップしてみたいと思っています。
▼もう一枚追加します。
上の写真から9年経過して、昭和62(1987)年2月梅田方面の夜景写真です。3枚目と同じマンションから撮影。これを見ると高層ビルが増えて「アクティー大阪」「吉本ビル(ヒルトン)」「梅田センタービル」などが加わっています。
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by osaka-salon2 | 2008-11-25 21:41 | 古めの写真